2004年01月30日発行824号
ロゴ:占領拒むイラク民衆

本紙記者サマワ緊急ルポ(3)

【米英軍による破壊・殺りくの爪跡 / マスコミが伝えぬ戦争犯罪】

 自衛隊「歓迎ムード」を振りまいたマスコミは、日本政府の報道統制に呼応し、ますますサマワ現地の本当の姿を伝えなくなった。劣化ウラン弾の使用、その被害の実態は言うに及ばず、爆撃による市民の被害についてもまったく報道しようとはしない。破壊された学校や家々の無惨な姿は、繰り返された米英軍の戦争犯罪を告発している。(豊田 護)


学校にミサイル

米軍の爆撃で破壊された学校
米軍の爆撃で破壊された学校

 市街地の南端にその学校はあった。小中学生にあたる年齢の男子が通っていた。昨年3月末の戦闘でミサイルを撃ち込まれた。校舎は爆撃で使い物にならない。何人かの男たちが、敷き並べてある石材をはがしていた。校舎の屋上にも、作業をする人々の姿があった。二日前から解体作業が始まった。

 爆弾の破片を見なかったかと、作業している男に聞くと「米兵が来て片づけていった」。屋上に上がってみた。鉄筋がむき出しになった天井が目に入った。少なくとも3発の着弾個所がわかる。崩れた校舎の先にはCPA(占領当局)が占拠した建物が見えた。そこには米軍が居座っている。

 学校を調査しているとき、「爆撃を受けた自分の家もぜひ見に来てくれ」と大柄な男性がやってきた。サバールさん(50)。その表情は険しかった。

「日本はなぜ米国に追随するのか」とサバールさん
「日本はなぜ米国に追随するのか」とサバールさん

 サバールさんの家は整然とした住宅街にあった。3月29日午後8時30分。あたりに何発もミサイルが落とされた。その5分前、一家15人を自分の兄の家に避難させた。12歳を頭に5人の子どもがいる。爆撃はその後、数日間続いた。子どもたちは今もおびえている。

 サバールさんは布の袋から金属片を出して見せた。モス・グリーンのかけらには「GUIDED BOMB(誘導弾)」とオレンジの文字が読みとれる。

「なぜ米国に追随する」

 爆撃後、サバールさんの家族は半壊状態の自宅に戻ってきた。商売どころではない。中古タイヤの店は閉めた。食糧の配給を受けているが、蓄えを食いつぶしている。「被害の状況を見てもらうだけでは、気持ちが収まらない。米軍が来たら仕返ししてやる」。ポケットから出した手には手榴弾が握られていた。

 米軍への補償請求について聞いてみた。「奴らは犯罪者だ。謝罪も補償もするわけがない」と怒りが増していく。

 昨年6月に配られたというビラを見せられた。「米軍外交部に代わって、被害の補償について以下のように通知する―戦時中に発生した、あるいは戦争行為が原因で発生した被害は、個人的損害であれ、なんであれ、補償されない」。アラビア語と英語で記されていた。

 「日本人は人道主義者だし、われわれの権利についてもよく知っているはずだ。なぜ米国に追随するのか。もし連合軍と同じようにわれわれの権利を侵害するのなら、殺すだけだ」

 幸い家族の中で犠牲者は出なかった。だが、生活を破壊したものに対する怒りは抑えようがない。

日本も犯罪に加担

爆撃跡に立つサーレさん。「弟はこのガレキに埋まって死んだ」(1月8日・サマワ)
爆撃跡に立つサーレさん。「弟はこのガレキに埋まって死んだ」(1月8日・サマワ)

 「この瓦礫の下で私の弟は8時間生き埋めになって、死んだ」

 この日、3件目の調査個所。案内役のサーレさん自身の身内に起こった出来事だった。4月3日深夜1時、爆撃が始まった。家を守るために一人残っていた弟が瓦礫に埋まった。近所の人からの知らせで駆けつけたが手のほどこしようがなかった。

 家の裏には、学校の校庭が続いていた。軒を連ねた北側3軒の民家は全壊。破壊の威力から、バンカーバスターではないかとサーレさんは疑った。

 南隣の家は半壊状態だった。その家には爆撃当時、3家族13人が寝ていた。その一人フセインくん(10)は「怖くて震えていた。本当に死ぬかと思った」という。そして言った。「日本人が来て、直してくれるの?」

 日本政府は、サマワの学校やコミュニティーの再建などに取り組む方針を出している。だが、学校や地域を破壊した者は誰だ。自然災害ではない。このことを不問に付すことは、侵略行為を不問に付すことだ。

 「復興援助」のかけ声は、犯罪を犯したものが謝罪し補償する当然のルールを踏みにじるものだ。そうして、日本自身が占領という犯罪に加わっていることをごまかしているのである。   (続く)

 

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