2004年02月06日発行825号
ロゴ:占領拒むイラク民衆

本紙記者サマワ緊急ルポ(4)

【生活基盤を破壊した経済制裁 / 日本も侵略者の一味だ】

 占領軍に対するイラク民衆の怒りは、サマワにあっても例外ではない。悪化の一途をたどる生活環境は、占領政策に対するいら立ちの大きな要因となっている。そこには、長く続いた経済制裁によるダメージが深くかかわっている。「国際貢献」を掲げ占領軍に加わる自衛隊。戦争犯罪を問うイラク民衆に「人道援助」「復興援助」のごまかしは通用しない。(豊田 護)


経済制裁のダメージ

 「下水道建設中」の看板があった。サマワの市街地に入る直前だった。これまで占領軍は、破壊したインフラを放置してきた。やっと復旧に動き出したのかと思った。

サマワ市内の露店。市場は買い物客でにぎわっていた(1月9日)
写真:野菜を山積みにした露天

 「あれは、サダム時代からのものだ」と通訳のハルブが言った。下水道ばかりではなかった。浄水場や配水管の修繕・整備も止まっていた。

 イラク経済は、1990年クウェート侵攻に対し発動された経済制裁によって国連の管理下におかれてきた。その実態は米国が支配するものだった。

 機械部品の輸入も制約を受ける中で、発電所や工場の稼働率が悪くなっていった。そもそも自由になる財政支出は限られていた。下水道の建設はそんな中で止まった。

 サマワの街でインタビューを試みると、日本に対する異常ともいえる”期待”が寄せられる。雇用の確保とともに上下水道や病院など老朽化した施設の修理・改築を求める声は大きい。

 86年に日本の企業により建設されたサマワ総合病院も全面的な修繕を期待されている。医療機器は壊れたまま、慢性病の薬からレントゲンのフィルム・造影剤すら足りない。県の健康管理部長は「健康に関する条件が未整備なのは医薬品だけではありません。下水や水など基本的なインフラに問題があります」と訴えていた。

 わずかな降雨でも国道に水はあふれた。泥水をはね上げて走る軍用車に怒りが湧く。

「援助」より補償を

 「われわれは物乞いではない」とイラクの人々は言う。イラクは中東の中でも、社会基盤の整備が進んだ国だった。それがなぜ、日々の水すら事欠くようになったのか。10年以上続いた経済制裁によるダメージと侵略戦争による破壊の結果であった。

泥水を跳ね上げて走る米軍の軍用車
写真:路上を泥水を巻き上げて走る軍用車両

 今イラクの人々が求めているのは、この経済制裁と侵略行為の清算・補償なのだ。

 イラク軍のクウェート撤退で「目的」を達したはずの経済制裁は、その後も長くイラク民衆を苦しめた。その影響は、百万人以上の死者をもたらした。経済制裁の担当であった国連人道調整官は、米国主導による経済制裁を「ジェノサイド(民族皆殺し)だ」と非難し、相次いで辞任した。

 この経済制裁に日本も加担した。ファルージャの街で非難の言葉を受けた。「日本はアメリカと一緒になってイラクを侵略した最初の国だ。さらに私たちを経済制裁で苦しめた」と。

 ”不当に加えられた経済制裁によって、大きなダメージを受けた生活基盤を元に戻せ。『サダムからの解放』というのなら、経済制裁の結果からも解放せよ”。人々はそう叫んでいる。水の供給や病院の修復が人道援助でも復興支援でもない。破壊した者が償わねばならない当然の義務でしかない。派兵の口実に使うのは二重のごまかしではないか。

自衛隊は企業の先兵

 昨年5月、国連は制裁解除を決議した。米英両国にイラクの石油処分について、フリーハンドを与えるものだった。自らが破壊したインフラをイラクの石油代金で自国企業に「復興」させる。虫のいい話だ。

 湾岸戦争のあと、数か月で復旧したという電気・電話線が9か月を過ぎても手がつけられない。その一方で、携帯電話の設備投資が進んでいる。

 イラクの民衆にとって、高価な携帯電話は誰でも手に入るものではない。これが「復興ビジネス」の典型例ではないかと思う。

 日本企業は昨年7月来、CPA(占領当局)に民間人スタッフとして入り込んだ。

 住友商事・NECは米モトローラ社の下請けとして通信設備の一部を受注するのに成功した。三菱商事や丸紅など日本の商社9社は、ハリバートンの子会社KBRと共同でイラク西部のアクラ油田ガス開発事業を行う。「復興費」50億ドルは、日本企業に利益をもたらす呼び水になっている。

 自衛隊が行くのは、イラクの人々のためではない。日本企業の先兵となっていくのである。      (続く)

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