2004年04月30日発行837号

【忘れてはいけない日がある 沖縄戦記録1フィート運動の会・中村文子さん】

講演する中村文子さん(4月10日・東京
写真:演壇に立つ中村文子さん

 沖縄戦記録1フィート運動の会事務局長の中村文子さんは4月10日、都内で開かれた「日本と沖縄のいま」と題する講演会(主催・沖縄平和ネットワーク首都圏の会)で、現在の心境を語った。1フィート運動の会が地道な文化活動に送られる吉川英治文化賞を受賞。1983年12月の会設立以来、全国の市民からの寄付金で沖縄戦の記録フィルムを買い集め、上映を通じて平和運動に貢献してきたことが評価されたものだ。その授賞式に出席するために中村さんは上京した。


 中村さんは今年91歳になる。沖縄県本部村(現、本部町)で生まれ小学校教員となったが、沖縄戦で多くの教え子を亡くした。86年に事務局長に就任し、中心となって運動を担ってきた。

 中村さんは立ったままで1時間半、揺るぎない反戦への思いを語りかけた。「1人100円で1フィートずつ買い取って、沖縄戦を伝え続けて20年がたった。今の国の方向は平和の道とは違って、険しいどころか何と恐ろしい事態に陥っています。昨日今日の動きを見ると、また戦争孤児ができる。賞をいただいた重みを噛み締め、戦争に反対する力をもっとつけていきたい」

自衛隊派兵を批判

 中村さんは冒頭、12通りの記録しておくべき月日を参加者に示し、何の日か問いかけた。「ここは本土ですから、3つ以上分かれば合格です」。「10月10日は?」「那覇市の子どもたちに聞くと『体育の日』『大綱引き』と答えます。それだけではありません。1944年のこの日は那覇市が空襲で全滅した日です」

 3月26日は慶良間諸島に米軍が上陸、8月22日は対馬丸沈没の日。4月28日のサンフランシスコ講和条約については、「米軍政下で日本の捨石にされた沖縄の屈辱の日です」と怒りを込めて語る。「どんな地域にも、戦争の傷跡となる忘れてはいけない日があります。それを語り継いでいくことが平和な地域作りの一歩になります」と訴えた。

 「日の丸・君が代」にふれて「復帰前に米国の軍政への抵抗として日の丸掲揚運動を行ったが、そのことが一つの痛みとして残っています。今、孫たちの入学式や卒業式に行っても起立しないし、歌いません」と変わらぬ平和への姿勢を語る。

 最後に、中村さんは「どこかの国の尻馬に乗って、(イラクに派兵された)迷彩服を着た自衛隊を見るたびに、また戦争未亡人ができると胸が痛みます。平和な世の中こそ、最高の遺産であり宝です。みなさん、一緒に頑張りましょうね」とイラクへの自衛隊派兵を批判した。

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