ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2004年05月14日発行839号

第44回『ラッセル法廷(1)』

 ヴェトナム戦争が激しく戦われていた1967年5月2日から10日、ストックホルム(スウェーデン)の国民会館フォルケットフスで、ヴェトナムにおけるアメリカの戦争犯罪を裁く「国際戦争犯罪法廷」が開かれた。

 法廷を最初に提唱した哲学者バートランド・ラッセルの名前をとって「ラッセル法廷」と呼ばれる。

 裁判長には哲学者ジャン・ポール・サルトル、判事にはデディエ、シュワルツ、ボーヴォワール、アンデルス、デリンジャー、バッソ、カスリ、アイバール、オグレズビー、ヘルナンデス、ピーター・ワイス、ドイッチャー、デリー、森川金寿らが判事として列席した。開廷日の聴衆席には400人がつめかけ、南北ヴェトナム代表団が参加した。日本からは森川金寿のほか陸井三郎、福島要一が参加した。

 ラッセル法廷の適用法規は、ニュルンベルク法廷憲章第6条の平和に対する罪、通例の戦争犯罪、人道に対する罪である。さらにジェノサイド条約のジェノサイドも採用された。

第1回法廷では、侵略戦争と無差別爆撃の2点を中心に審議した。各国からの調査報告、専門家の証言、被害者証人、映像やスライドによる報告が相次いだ。5月9日にレリオ・バッソによる総括報告がなされ、10日に判決となった。

10日正午に開廷され、歴史的な民衆法廷判決をサルトルが朗読した。

1・アメリカ合州国政府は、国際法に照らしてヴェトナムに対する侵略行為を犯したことにつき有罪。

2・純然たる民間目標(学校、ダム、病院、衛生施設)に対する爆撃につき有罪。住居、村落、都市、学校、寺院などへの組織的大規模爆撃について有罪。

3・オーストラリア、ニュージーランド、韓国政府は、共犯として有罪。

 67年11月20日から12月1日、今度はコペンハーゲン(デンマーク)郊外のロスキルドで開催された。兵器に違法性、捕虜民間人の虐待、ジェノサイドに焦点が当てられた。3人の元米兵の告発証言は大きな話題となった。

 12月1日の判決は、デディエやサルトルが分担して朗読した。

1・タイ、フィリピン、日本政府は、共犯として有罪。

2・アメリカ政府は、ラオスに対する侵略行為につき有罪。

3・アメリカ政府は、国際法違反の兵器使用につき有罪。

4・アメリカ政府は捕虜虐待につき有罪。民間人に対する非人道的取り扱いにつき有罪。

5・アメリカ政府はジェノサイドにつき有罪。

 これでラッセル法廷は終了したが、ラッセル法廷継続委員会はパリに国際情報センターを設置した。1968年6月―7月にはパリでヴェトナムに対する残虐行為糾弾集会などを開いた。1970年3月にはヴェトナムに関するストックホルム会議で「インドシナにおける国際戦争犯罪調査委員会」が設置され「新国際法廷」として活動を続けた。1970年10月、ストックホルムで第1回審理集会、1971年6月、オスロ(ノルウェー)で第2回審理集会などを継続した。この間、世界各国の法律家による会議も組織され、幅広い反戦運動に連なっていった。

 日本でも1967年8月28日から30日にかけて東京の千代田公会堂で「東京法廷」が開催されている。2次にわたる現地調査報告、在日米軍基地の実態報告など多数の証言を踏まえて、アメリカ政府の多数の犯罪を認定し、日本政府を共犯として有罪とした。

 なお、私はこれまで「ラッセル・アインシュタイン法廷とも呼ばれる」と発言したことがあるが、誤りであった。核兵器廃止のためのラッセル・アインシュタイン宣言との混同である。「ラッセル法廷」または「ラッセル・サルトル法廷」であり、訂正したい。

(参考文献)森川金寿『ベトナムにおけるアメリカ戦争犯罪の記録』(三一書房、1977年)

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