今年の夏、日本の新聞・テレビはオリンピック一色に塗りつぶされた。「オリンピック以外にニュース価値はない」といわんばかりの偏重報道が本当に大切なニュースを隠してしまう。その最たる例が、沖縄県宜野湾市で発生した米海兵隊ヘリコプター墜落事故である。沖縄地元紙との比較を通じて、マスメディアの報道姿勢を検証する。
作られた意識格差
「沖縄県民の生命は金メダル以下か」「今回ほど沖縄と東京の『心理的距離』を実感したことはない」
沖縄タイムス(8/23)の読者欄に、このような投書が掲載された。米軍ヘリ墜落事故をめぐる「本土マスコミ」の「消極報道」を批判する内容である。
【写真1】民家の被害を伝える沖縄タイムス(8月14日)
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市街地の真ん中にある大学の構内に軍用機が墜落した。住民の生命にかかわる重大事故である。それなのに、東京発の全国ニュースでは二番手三番手の扱いでしかない。テレビをつければ「日本勝った。日本バンザイ」のオリンピック騒ぎが一日中続いている。これでは沖縄の人々が怒るのも無理はない。
一方、沖縄以外の人々には、事態の重大性が伝わっていない。墜落事故があったことすら知らない(覚えていない)人が大勢いるのではないか。
このような意識格差はマスメディアによって作り出されたものだ。論より証拠。沖縄地元紙と全国紙の報道を比較してみよう。
まずは沖縄から。8月14日付の沖縄タイムスは紙面の大半を費やして墜落事故の詳報を伝えた(写真1)。「破片民家を直撃」「乳児の寝室貫通 / 周辺住民『殺すつもりか』」という見出しが事故の恐怖を物語っている。飛び込んできた事故機の破片でドアやふすまに穴の開いた民家の写真が生々しい。
総じて、沖縄地元紙は住民の目線で今回のヘリ墜落事故を報じていた。軍事基地と住民は共存できないことを読者が実感できる紙面構成になっていた。
【写真2】同じ日の朝日新聞
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小泉内閣に助け船
では、同じ日の全国紙はどうだったか。朝日新聞の1面トップは渡辺恒雄・巨人オーナーの辞任問題であった。墜落事故は同じ面の左端という扱いである(写真2)。事故の続報もほとんどなかった。アテネ五輪が開幕し、オリンピック関連の話題が紙面を占拠していった。
8月22日、米軍は事故機と同じ型のヘリコプターの飛行を一方的に再開した。イラクに派遣するためだ。日本政府はこれを追認した。自国民の安全より米軍のイラク占領作戦を小泉内閣は重視したのである。
だが、沖縄を除いてこのニュースが世論の怒りをかきたてることはなかった。女子マラソン報道の陰に隠れてしまったからだ。朝日新聞の場合、ヘリ飛行再開の記事は政治面の二番手扱い。読売新聞は約40行。産経新聞にいたっては記事すらない。
政府が知られたくないことは伝えない、扱いを極力小さくするという情報操作の典型がここにある。
なお、朝日新聞は8月24日になって「米ヘリ墜落−−首相はなぜ動かぬ」(8/24)と題する社説を掲載した。その結びで「五輪での日本選手の活躍に日本中が興奮する中で、こんどの事故がかすんでしまうなら、とんでもないことだ」と述べている。
あいた口がふさがらないとはこのことだ。墜落事故をかすむようにしたのは朝日新聞も含むマスメディアのオリンピック偏重報道ではないか。
有事体制の先取り
米軍は墜落事件の後、ヘリが落ちた沖縄国際大学のキャンパスを「軍事機密保持」のために占拠した。私有地を勝手に封鎖し、警察の現場検証さえ拒んだ。
法律よりも軍事上の必要性が優先された今回の事態を、同大学の石原昌家教授は「『有事法制』先取りの現場」(8/20沖縄タイムス)と表現する。軍隊の行動に最優先権を与えることが有事法制の本質だからである。
こうした軍事優先社会の下、沖縄の人々は危険な軍事基地と隣り合わせの生活を知られてきた。そして「もう我慢できない」と基地撤去の声を日米両政府に突きつけている。このことがどうしてローカルニュース扱いなのか。
政府に都合の悪い情報を隠ぺいするという点において、マスメディアはすでに有事体制の「先取り」に突入しているといえよう。
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今回の墜落事故における小泉首相の冷酷かつ無責任な対応は許しがたいものがある。だが、小泉が平然としていられるのは、事故隠しに等しい報道の助けがあるからだ。住民の命をないがしろにしているのは日米両政府だけではない。マスメディアという共犯者がいる。 (M)