2004年09月15日発行854号
ロゴ:反占領、自由・平等をめざして

【第2回 「石油の街」で自治組織結成 / その名も「連帯地区】

 占領が続くイラクでは、治安の悪化と生活苦が人びとの最大の不安になっている。8月16日、イラク北部キルクークを訪れた。アラブ人・クルド人・トルクメン人、ムスリムだけでなくキリスト教徒など多様な人びとが生活している石油の街。この街で自らの力で治安を確保し、生活基盤をつくり始めた地域があった。(豊田 護)


「米軍は占領軍だ」

多様な民族・宗派で構成されている「連帯」地区評議会の人びと(8月17日・キルクーク)
写真:

 キルクーク市の中心から車で約10分のところに、”アルタザムン(連帯)地区”があった。1987年頃、イラン・イラク戦争の捕虜・遺族のためにつくられた住宅地だ。約1キロ四方の平坦地に、1400世帯、約1万4千人が暮らす。

 2004年5月、米軍と市当局が立ち会い、住民投票を行った。5人の評議員を選び、地域独自の自治組織、地区評議会を結成した。

 「米軍は占領軍だ。われわれを守るためにイラクにいるわけではない。住民と米軍・市当局との間の信頼関係はすべて失われている。だから住民保護は住民自身の仕事になった」

 地区評議会議長のモハメッド・アジズ(37)は語る。「キルクークの警察は、紛争が起こったとき、民族の違いによりいくつかのグループに分かれてしまった。そこで、私たちはこの地区を外部の人間から守れるよう、お互いを知り信頼できるメンバーで地域警備チームをつくった」。

 まだ、地区評議会が結成される前のことだ。

 昨年末、連邦制反対のデモにクルド人警察官が発砲、トルクメン人が死傷した事件があった。今年になってキルクークの他の地区で、民族紛争が起きた。だが、この地区では、「われわれは人間だ。キルクーク市民として、人間としてのアイデンティティ(独自性)を保障する」と各家庭に呼びかけて回った。ありもしない「憎悪」のために、外部から持ち込まれる扇動により、争いを起こす者は誰一人いなかったという。

多様さを前提に

 「住民はわれわれの訪問をとても快く受け入れ、われわれの考え方に全面的に同意した。他の諸政党、こうした紛争をかきたてようとする政党ではなく、われわれを支持することを決めた」とイラク労働者共産党員(WCPI)でもあるアジズは胸を張った。

 「これは民族紛争に関する重要な成果の一つだ。この地区はいかなる類の民族紛争の余地も残さないことになったからだ。ここには民族紛争はない。戦闘も殺戮も全くない」

 評議会の人口調査によれば、この地区にもクルド人・アラブ人・トルクメン人・アッシリア人がおり、イスラム教徒のシーア派もスンニ派も、キリスト教徒も住む。多様さを前提とし、信頼を築いた。

 この地区は建設当時、「戦争捕虜・戦争遺族」地区と呼ばれていた。悲しみと絶望の響きを持つ地区の名前を住民投票で変えた。地区の入り口に看板を立てた。アラビア語だけでなくクルド語・トルクメン語で”連帯地区”と書いた。ここを訪れる人は、”連帯”の意味を文字からも知ることができる。

住民の信頼を得る

「連帯地区」の看板。3つの言語で表記
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 占領軍・かいらい政権は生活再建を放棄したまま、民族や宗派間の対立を煽り、人びとの不安をかきたてている。市民を巻き込んだ無用な戦闘が繰り返されている。地区評議会が、自らの力で住民の安全を保障した意味は大きい。

 地区評議会の活動は、治安の確保だけではない。それは、ほんの一面に過ぎない。住民の生活を支えることが問われている。

 評議会結成の前、WCPIのメンバーは住民の代表とともに北部ガス会社と交渉。一定量のガスを無料で提供させることに成功した。さらに電気と水の供給を求め市当局と交渉、一定の改善をさせた。こうした積み重ねが、住民の信頼をかちえ、地区評議会の結成へと実を結んだ。

 連帯地区評議会は、生まれてまだ3か月。事務所ができてから1月あまりである。ボランティアスタッフは、財政的裏付けのない困難な条件の中で、住民の期待にこたえようと奮闘している。

   *  *  *  

 反占領の闘いを伝える中で、記者は「イラクはイラク人の手で」と訴えてきた。だが、その具体的な姿は見えてはいなかった。占領との闘いは、住民の生活と安全を保障する闘いでもある。市民レジスタンスの典型例ともいえる地区評議会の成功が、その答えとなると思った。  (続く)

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