2004年09月15日発行854号

【9・11テロから3年の今 ブッシュの戦争政策に未来はない ウソと開きなおりの共和党大会】

 11月大統領選で再選をめざすブッシュは、ニューヨークでの共和党全国大会(8/31〜9/2)で大統領候補に正式指名された。9・11テロ事件を再び政治利用して「テロと闘うリーダー」のイメージを訴えようとしたのだ。だが9・11以降の3年間は、ブッシュとグローバル資本の戦争政策の破綻をこそ誰の目にも明らかにしている。


戦争継続宣言の共和党

 大会最終日の9月2日に、ブッシュは大統領候補受諾演説を行った。

ニューヨーク50万人デモ(8月29日)(写真は全交・森文洋さん)
写真:大きな地球儀を数人がかりでかかえあげ戦争反対を訴える人々

 演説の前半は内政問題。そこでは、ブッシュの戦争政策がもとで史上最高に膨れ上がった財政赤字の根本的な解決策は何も示されなかった。04年度4800億ドルという莫大な財政赤字がもたらすものは、地域と生活の破壊だ。ブッシュの「思いやりのある保守主義」とは、失業の深刻化、貧富の格差のいっそうの拡大、医療や社会保障の削減を引き起こし、一方で、金持ち優遇の減税を継続することにすぎない。

 演説の後半は戦争の自画自賛だ。9・11事件以降の「対テロ戦争で世界と米国はより安全になった」「アフガニスタン、イラクで5000万人以上が解放された」と全面賛美した。そして「攻撃態勢を維持して海外でテロをたたく」と戦争を拡大し「手遅れになる前に脅威に立ち向かう」と先制攻撃戦略を続けることを宣言した。

 米国民は、今では「イラクの大量破壊兵器」がうそで「米国が攻撃される脅威」などなかったことを知っている。これにブッシュは弁明もできず、「安全」「自由」「解放」という別のうそを繰り返すだけだった。

 米国民の生活を改善する意思も政策も示せず、うその上塗りで戦争政策を続ける以外に策がない。ここにブッシュとグローバル資本の戦争路線の破綻が示されている。

「対テロ戦争」は破綻

 しかし、ブッシュがどれだけ、「対テロ戦争の継続」を訴えても、それが許されるような状況はすでにない。9・11以降の3年間の変化を振り返ってみよう。

ブッシュこそがテロリスト

 最大の変化は、ブッシュの進める戦争とは国家テロであり、ブッシュこそがテロリストであるという真実を、世界の民衆が見抜いたということだ。

 ブッシュは、9・11の惨劇による米国民への世界の同情を利用し、自らを「反テロのリーダー」と描き「テロの側に立つか、反テロか」と各国に迫り戦争を進めた。

 そのブッシュがイラク戦争と占領統治で行ったことは、無差別爆撃、イラク社会の破壊、イラク市民の虐殺・人権侵害であり、アブグレイブでの拷問であった。

 ブッシュは、「反テロのリーダー」から転落し、ブッシュ・チェイニー・ラムズフェルドの3人組こそ「悪の枢軸」と世界から糾弾されている。ブッシュはロンドンやパリ等どの外遊先でも抗議デモに包囲され、拷問を命令したラムズフェルドは共和党大会で演説もできなかった。

「反テロ」連合の崩壊

 アフガニスタンへの根拠なき「報復戦争」に、当時、公然と反対を表明した国はほとんどなかった。ブッシュの暴挙を黙認したのである。

1面トップで反ブッシュデモを報じたニューヨークタイムズ
写真:大通りを埋め尽くす人々の写真がトップを飾る同紙

 これに対し、イラク戦争時、国内に強力な反戦世論が存在するフランス・ドイツはブッシュの開戦に同意を与えなかった。ブッシュは、国連安保理決議を得て開戦できないと知ると、国連憲章すら破って「有志連合」で先制攻撃をする道に走った。ところが、開戦時の同盟者のスペイン・アスナール首相が占領反対の世論の下で総選挙に敗れ退陣に追い込まれ、まずスペインが撤兵した。親米といわれた中米諸国やフィリピンも脱落し、各国占領部隊は、駐留する理由も士気も喪失し相次いで撤退計画を公表している。この撤退の連鎖は、「有志連合」の崩壊を意味する。

 政権内部にも動揺が広がっている。ブッシュは、9・11テロを「これは戦争だ」と称して、戦時体制下の「愛国心」を強要し、野党民主党を巻き込んで戦時大統領への「団結」を作り出した。

 だがオニール元財務長官は、9・11事件の半年以上前からブッシュ政権がイラク攻撃を考えていたことを暴露した。「大量破壊兵器疑惑」は、政権中枢が作り出したうそであることが全世界に明らかになっている。雑誌やテレビで報道されたイラク・アブグレイブ刑務所での米軍のイラク人収容者に対する醜悪な拷問は、政権内部からのリークによるものだ。戦争屋内部の動揺が深まっている。

高支持から「Anyone But Bush」に

 9・11直後、マスコミの「愛国」報道の下、ブッシュの支持率は90%にまで達した。この高支持率をバックにブッシュはアフガニスタンを攻撃した。その1年後に米議会の中間選挙が行われたが、野党民主党はブッシュの戦争政策を批判せず、有権者の多くが失望して棄権した結果、共和党の勝利を許した。これがイラク開戦を後押しした。

 いま米国では、「イラク戦争は戦う価値がなかった」という意見の方が多数だ。ブッシュはうそつきで、「Anyone But Bush(ブッシュ以外なら誰でもいい=最低の大統領)」といわれるまでにイメージを落としている。

イラク民衆連帯行動を

 ブッシュを追い詰めてきたものは、世界民衆の持続した反戦闘争とイラク民衆の反占領のレジスタンスだ。

 アフガニスタン攻撃の時にも米英で自国政府の戦争に反対する闘いが展開され、幅広い反戦団体が形づくられた。ブッシュがイラクを標的にする動きが強まる中で世界の反戦勢力は、「イラク戦争を始まる前に止めよう」「石油のための戦争反対」というスローガンで国を超えて闘うようになった。その最大のものが世界60か国600都市で1000万人以上が行動に参加した03年2月15日の世界統一反戦行動だ。ニューヨークタイムズは「反戦のスパーパワーの誕生」と評した。この闘いは開戦を止めることは出来なかったが確実に遅らせ、世界の民衆に自信を与えた。

 ブッシュのイラク戦争での最大の誤算は、「解放者」として迎えてくれるはずであったイラク民衆の、抑え込むことのできないほど広範で頑強な抵抗に遭遇したことだ。イラク占領支配のシナリオはことごとく破綻してしまった。しかも抵抗する民衆に対する米軍の弾圧が報道暴露され、占領反対の反戦世論が世界にひろがった。

 反戦国際行動は、イラク民衆連帯の闘いとして再高揚しつつある。自国政府の占領参加反対、占領からの撤退、占領加担政府の退陣を求めるさまざまな闘いがブッシュと戦争屋たちの思惑を砕く。その象徴がスペイン、イギリス、日本と続く参戦国政権与党の選挙での敗北だ。

 共和党大会前日8月29日のニューヨークはブッシュ・ノーの50万人行動で埋めつくされた。イラク民衆連帯の国際行動を強め、ブッシュ、ブレア、小泉を政権からたたき出そう。イラク占領を停止させ、グローバル資本の戦争システムを解体することは可能だ。

 

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS