ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2004年10月06日発行857号

第53回 『クラーク法廷(4)』

 クラーク法廷は、1992年2月27日から29日にかけてニューヨークで開催された。国際戦争犯罪法廷のための調査委員会による現地調査と全米諸都市および東アジアなどにおける多数の公聴会で収集・報告された証言や証拠を持ち寄っての法廷である。

 ラムゼー・クラークは、ベトナム反戦運動に加わっていたが、1970年4月に行なわれたベトナム爆撃とカンボジア爆撃に対する反戦デモにも参加している。4月に全米各地で反戦週間の取り組みがなされた際、サンフランシスコ集会に、ジェーン・フォンダ(女優)、ノーマン・メイラー(作家)らとともにクラーク元司法長官が参加している。

 さらに1972年7月にストックホルム国際戦犯調査委員会に加わって、8月8日、ハノイの記者会見で「都市破壊は第二次大戦時のヨーロッパの諸都市とそっくりである。堤防やダム等の周辺には軍事目標は目撃しなかった」と語り、帰国後、8月16日に上院司法委員会難民問題小委員会の公聴会で証言し、ボール爆弾(クラスター爆弾)の破片を示して、「この種の兵器の使用は法的にも道徳的にも認められない」と述べている。1973年1月には、ハノイのバク・マイ病院再建のための募金活動も行なっている(森川金寿『ベトナムにおけるアメリカ戦争犯罪の記録』)。つまり、ラッセル法廷の後身である「国際戦争犯罪センター」の活動の中にラムゼー・クラークの姿があったのである。

 クラーク自身が呼びかけた法廷に提出された調査委員会報告は、ラムゼー・クラーク編著『アメリカの戦争犯罪』(柏書房、1992年)として翻訳されている。翻訳の中心は新倉修(青山学院大学教授、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷裁判長)である(編集担当者は、後に私の『戦争犯罪論』『ジェノサイド論』を編集した)。

 クラーク法廷のための調査委員会報告書は、全4部の構成である。

 第1部は「告発」であり、ブッシュ大統領らに対する起訴状が収録されている(本連載第51回参照)。

 第2部は「国際法上の根拠」であり、4本の報告が収録されている。

 サラ・フラウンダース「なぜ調査か」は、「私たちは、隠蔽され、削除され、検閲された事柄を発掘し、あばき、検討するための世界的規模での公開フォーラムをはじめようとしている」とし、「帝国主義諸国は団結したが、私たちも真実のために団結する必要がある。世界的規模で真実を大声で求めるさしせまった必要があり、怒りを動員するさしせまった必要がある」と訴える。サラ・フラウンダースは後にIAC(国際行動センター)の活動家となり、アフガニスタン国際戦犯民衆法廷共同代表となる。

 ラムゼー・クラーク「国際戦争犯罪法廷のための法的・倫理的根拠」は、ブッシュ大統領らに対する告発を敷衍して、「愛国心の最良の示し方とは、今回のような倫理的危機に際して立ち上がり、次のように言うことだ。『わが国は、二度と戦争犯罪や人道に対する罪を犯さない』と」。

 マイケル・ラトナー「国際法と戦争犯罪」は、「湾岸戦争」当時の国際法の解釈論を展開し、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪について検討している。マイケル・ラトナーは弁護士で、ナショナル・ローヤーズ・ギルド元会長である。

 さらに、フランシス・ケリー「イラク人民に対する戦争犯罪」は、「イラクに対する航空戦が正確だったというのは、爆弾が常に地面に命中したということだけだ」と無差別爆撃の実態を詳細に分析して、批判している。

 「民衆法廷」の根拠づけは特に示されていない。ラッセル法廷と同様に、ニュルンベルク裁判・東京裁判に引き続く国際法廷が目指されていたのであろう。

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