ロゴ:生きる 佐久間忠夫 2004年10月13日発行858号

第96回『大阪は明るい』

浅香山病院の仲間たちと上映会
写真:映画『人らしく生きよう』上映と書いた横断幕を広げる佐久間さんと浅香山病院・地域の支援者

 国鉄清算事業団の時に、大阪の矢野さんに声をかけられて関西に行くようになった。当時、大阪には「環状線の会」しかないと思っていたから矢野さんの家に泊めてもらった。

 一番に感じたのは、大阪の人たちは明るいってこと。

 JRに採用されたものの、国労組合員は本来の鉄道業務から外され事業部に出された人も多い。サンクスや駅の売店などに不当に配置された。

 そんな中、大阪では売店の前に「分割・民営化反対、旅客サービス優先」と書いて花なんかが飾ってあった。堂々と訴えている。こんな取り組みは関西流だなと思ったね。東京にはない運動だった。矢野さんに聞くと、分割・民営化反対の時には、駅のホームいっぱいに支援の仲間が集まり、騒いでいたという。こういう大衆に見えるアピールが関西にはあった。

 最初、関西の人たちを知ったのは「働く青年の全国交歓会」(現、平和と民主主義をめざす全国交歓会)に参加してかな。全交に行くと、日赤病院の人たちが「佐久間さん一緒に写真撮って」とか言ってくれて親しくなっていった。

 もう一つ印象的だったのは、堺にある浅香山病院の人たちに呼ばれた時だな。新幹線を降りて新大阪駅の改札で、今は水巻さんっていったかな。「佐久間さん」って、明るい所で大勢の人がいる前で、手を上げて大きな声で呼ばれた時は、恥ずかしいというよりうれしかったね。

 集会には看護婦さんなど若い女の子がいっぱい来ていて、「女性は太陽であり、大地である」って話で締めくくったのは今でも忘れない。俺自身が女房をそう扱っていたかどうかは分からないが、それは事実だと思ったんだ。女性が子どもを産んで育て、実際に社会の中心を担っている。集会が終わると交流でよく飲み屋に行ったね。

 浅香山に行くと、いつも中心的にやっていた小川さんの家に泊めてもらった。ちっちゃな病院かと思っていたら、でかい病院なんだよ、浅香山は。近所の看護婦さんが集まってきて学習会が始まる。入ったばかりのような若い子が、パネルを作って一生懸命に分割・民営化の狙いや経過を説明し、みんなで勉強していた。交流の中で説明していた子が「私もこれからいいことあるのよ」って言ってた。次に行ったら、争議をやっていた岩井金属の井手窪と一緒になっていた。以来、秋の団結まつりで大阪に行くと、交流を重ねている。

 俺は関西の方が肌が合うよ、本当に。明けすけにもの言うし、見える運動をするしね。東京では何かちょっと構えた運動になっているから。

(鉄建公団訴訟原告)

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