審理を終えた証言者。左から樋口さん・前田さん・溝口さん・宮坂さん(10月7日・東京地裁前)
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国鉄分割・民営化の国家的な不当労働行為を裁く鉄建公団訴訟はいよいよ大詰めを迎える。年末にかけて集中的に行われる4回の個別立証が10月7日東京地裁で幕を開け、原告や支援者ら300人が傍聴した。
この日証言に立ったのは、宮坂要さん(元国労本部書記長)、樋口浩二さん(帯広闘争団)、前田浩則さん(同)、溝口松男さん(姶良[あいら]・伊佐闘争団)の4人。
国労破壊攻撃を立証
立証の口火を切った宮坂さんは、87年9月から91年10月まで国労本部の書記長をつとめた。国労破壊攻撃とわたりあってきた宮坂さんの証言は、今後に続く一人一人の具体的な実証の背景を明らかにするものとなった。
政府と国鉄当局が一体となった攻撃によって、85年6月には25万人以上いた国労組合員は、分割・民営化された90年4月には4万人余りへと急減した。その原因を宮坂さんは「現場管理者が中心になって『脱退しないと新会社に就職できない』と脅し、組合員脱退工作が繰り返された。86年7月からは人材活用センターに組合役員らを根こそぎ収容し、空き地の雑草刈りや文鎮づくりなどをさせた。ここに入れられると新会社に採用されないという認識が職場の中に生まれていった」と述べた。
前夜に開いた決起集会(10月6日・東京)
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採用差別については「北海道では分割・民営化に賛成していた組合の組合員はほぼ100%、国労から分裂して分割・民営化賛成に立場を変えた組合も80%近くが採用になったのに対して国労は40%だった」と数字を示した。また「国労脱退に応じた職員については採用を求める上申書を管理者は作成していた」事実も明らかにした。
不採用職員の収容先となった清算事業団の当局も執拗な嫌がらせを繰り返した。書記長として全国の清算事業団雇用対策支所を回り、実態を調べた宮坂さんは「稚内支所では33人の定員の部屋に118人を詰め込んで劣悪な環境に押し込め、漢字の書き取りや『万葉集の謎』といったビデオを見せていた」「求人広告の切り抜きを貼るくらいしかされていなかった」と「再就職あっせん」のうそを暴く。
当時の記憶を改めて呼び起こした原告らは身じろぎもせず宮坂さんに目を注ぎ続けた。
尋問で意欲新たに
午後は、宮坂さんへの鉄建公団側の反対尋問に続き樋口さん(6面参照)、前田さん、溝口さん(856号6面参照)が証言。予定を40分オーバーして5時半まで審理が続いた。
3人は、国鉄時代からの不当労働行為を克明に証言するとともに、清算事業団のでたらめな「再就職あっせん」を批判した。溝口さんは鉄建公団が示した就職あっせん89回、就職指導45回について「おかしいですね」ときっぱりと否定。裁判官からも、3人それぞれに「実際のあっせん回数は何回でしたか」と質問が出され、鉄建公団提出の証拠に対する疑義が一層浮き彫りになった。
裁判後、宮坂さんは「今日一日、理不尽な国労差別が行われた事実が明確にされた。反対尋問を受けてさらに怒りがわいた。皆さんと同じ気持ちで闘い抜く」とあいさつ。前田さんは「緊張したが、自分の実態は言えた。この思いを継続していきたい」。樋口さんは「終わってホッとしている。思いのたけは言えた」と語った。