ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2005年04月15日発行883号

『女性国際戦犯法廷(3)』

 女性国際戦犯法廷は、2000年12月8日から10日までは九段会館で、そして12日の判決公判は日本青年館で開催された。11日には、現在の世界各地における戦時性暴力問題に関する国際公聴会が開かれた。

 開廷後、法廷の主催者である国際実行委員会から松井やより、尹貞玉、インダイ・サホールの三名による開会宣言が行なわれた。続いて、検事団の紹介が行なわれた。主任検事はパトリシア・セラーズとウスティニア・ドルゴポルである。各国・地域別の検事団数十名が登壇した。

 マクドナルド裁判長の指揮のもと、公判は3日にわたる主張・立証活動に入った。主任検事が冒頭陳述を行なった。ドルゴポル検事は主に慰安婦政策の国際犯罪性を担当し、セラーズ検事は主に昭和天皇の有罪性を担当した。

 続いて各国・地域別の立証作業に入った。

 最初はコリア検事団である。法廷準備段階での数次にわたる会合を重ねた結果、朝鮮検事団と韓国検事団は合同して一つの検事団になった。朝鮮から来日したハルモニと韓国から来日したハルモニが証言を行なった。朝鮮半島に関しては研究も進んでいるので、立証作業はそれらを再確認するものとなった。

 続いて、台湾の被害者も証言を行なった。朝鮮と台湾は日本の植民地となっていたので、慰安婦政策の展開の仕方、適用される国際法などが共通している。

 日中戦争のさなかに慰安所設置が進められた中国からの被害者の証言がこれに続いた。中国では、山西省や海南島での被害者による裁判が闘われてきた。上海に慰安婦問題の研究所も設置され、実態解明が進められている。

 第二次大戦開始後は、慰安婦被害や強姦被害は南方に広がった。

 フィリピンからは、慰安婦被害者であるロラの証言に続いて、マパニケ村の集団強姦事件も提起された。これはマパニケ村を占拠した日本軍が男性を殺害したり追放したあげく数十人の女性たちを監禁し強姦した事件である。

 マレーシアでも多数の被害者がいたといわれるが、名乗り出ているのは1人であり、ビデオ証言を行なった。残されている写真に「軍専用」の文字のある慰安所が写されている。

 インドネシアを植民地としていたオランダの女性たちも被害にあった。90年代から名乗り出て、日本政府を相手に裁判を闘っていた。

 インドネシアの女性被害者の証言が続いた。インドネシアでの調査で名乗り出た女性は10万人とも言われたことがあるが、慰安婦事例というよりも強姦事例と思われる。法廷では、中曽根康弘元首相が慰安所を設置したバリクパパンの慰安所に入れられた被害者が証言した。

 インドネシアから独立した東ティモールから初めて被害者が名乗り出て、来日証言した。ほとんどの女性たちは家族にも話していないという。

 日本検事団は、日本人慰安婦の存在にも照明をあてた。慰安婦であったことをかつては語ったり記録に残した女性たちがいたが、90年代に慰安婦問題が浮上してからは名乗り出た女性はいない。その理由にも議論は及んだ。

 さらに、専門家証人として、歴史家の吉見義明(中央大学教授)、山田朗(明治大学教授)、林博史(関東学院大学教授)などが証言した。

 こうして3日におよぶ公判は、アジア太平洋地域における日本軍性奴隷制の被害の途方もない広がりと、被害の深刻性を改めて浮き彫りにした。生涯結婚できなかった。いまだに家族に話していない。夫との生活が破綻した。忘れられぬ記憶を探り、語りえぬ体験を語る被害者の一人はトラウマのため意識を失い倒れてしまった。

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS