2005年06月17日発行891号

【根強い女性差別と闘う / エルハム・アブドゥルスタルさん / イラク女性自由協会 / イラク女性は自由を求める】

 イラクでは、占領を容認する移行政府が発足し、民衆の被害は一層深刻さを増している。特に、女性に対する差別・虐待はとどまるところをしらない。自由・平等な社会をめざすイラク自由会議の中心的な団体の一つにイラク女性自由協会(OWFI)がある。民主主義的社会主義運動(MDS)の招請で来日したOWFIアルビル支部のエルハム・アブドゥルスタルさんの活動を紹介する。

(豊田 護)


変わらぬ女性差別

キルクークの女性保護シェルター(2004年8月)
写真:

 イラク北部クルド地域の主要都市アルビル。人口約85万人。エルハムさんの活動の場だ。クルド社会では女性差別が激しいと聞いたことがあった。移行政府の大統領を出したことで、民族政党の勢いは増しているはずだ。宗教政党とは違った差別の実態が一層激しくなっているのではないかと考え、変化のほどを聞いてみた。

 「女性差別の実態についてクルド地域では、占領やかいらい政府の発足による変化・影響は、あまりありません」

 エルハムさんの話は意外だった。

 クルド地域は、1991年の湾岸戦争後、サダム政権との取引により自治区としてクルド民族政党が支配していた。以来、民族主義や部族主義が幅をきかせてきた。かいらい政権ができて変化があったことと言えば、イスラム政党の影響力を引きずりおろすために、民族政党が宗教政党の事務所を閉鎖してしまったことだった。

 クルド地域が特別女性差別が激しいかどうかはわからない。だが、サダムがいなくなっても、クルド愛国同盟のタラバニが大統領になっても、そして宗教勢力の影響力が低下しても、これまで通り女性差別は存在しているという。

抑圧の中での活動

 彼女自身、子どもの頃から家庭内の男性優位主義に苦しめられてきた。特に教育をうけるには、家族と闘わなければならず、大学卒業まで争いが続いた。ベール着用や服装など家族から強制された。3人姉妹のうち、一番下の妹は大学に行けなかった。これらすべてのことが彼女を活動へと向けた。

 両親の選んだ相手と結婚したことで、問題は一層深刻になった。3人の子どもができたが、夫はいつも夜遅くしか帰ってこなかった。”子育てが女の仕事”だった。昨年8月の取材の時、エルハムさんはOWFIキルクーク支部に来ていた。彼女はOWFIの活動をしていることを夫に知らせていなかった。「妹に会いに行くと出かけてきた」と言っていた。

 今回の来日にあたって、夫にはどんな説明をしてきたのか。義理の兄であるサミールと一緒とはいえ、ただでさえ制約のある女性の外出。しかもエルハムさんにとって初めての海外旅行だ。離婚でもしないかぎり、困難ではないかと思い、聞いてみた。答えは簡単だった。

 「日本に行くと一方的に通告して、出てきたわ」

 いまでは彼女が活動家であることを夫は知っている。ただ、詳しいことは聞きたがらない。知りたくもないのだろう。彼女が離婚を望んでも、夫は応じることはない。

女性保護シェルター

 エルハムさんの声が弾んでいる。活動の障害となっていた夫の存在を乗り越えた力強さが伝わってくる。

 彼女は7か月ほど前から地元のラジオ局でアナウンサーとして働いている。保守的なラジオ局で、ニュースの内容には女性差別を肯定するものもある。そんな時は、原稿を読むのを拒否するという。解雇されるようなことはないのだろうか。

 「このラジオ局で夫も働いているの。そんなことはさせないわ」

 ラジオ局内の夫の力なのか、あるいは彼女の活動の成果なのか、詳しくはわからない。だが、明らかに夫との力関係は変わっているし、OWFIの闘いへの自信を感じさせる。

 OWFIはバグダッド、キルクークに次ぎアルビルにも虐待に苦しむ女性を保護するシェルターを開設した。これまで約20人の女性を支援してきた。

 エルハムさんは、OWFIの機関誌『平等』の編集とともに、シェルターの運営にもあたっている。典型的なケースを聞いてみた。

 「これは理解するには難しい例でしょう。アラビア語でグッサ、グッサというのですが…」と説明を始めた。

        (続く)

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