ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2005年07月15日発行895号

第70回
『コリア戦犯法廷(1)』

 2001年6月23日、ニューヨークでコリア戦犯法廷が開催された。2003年7月24日・25日、ピョンヤンで再びコリア戦犯法廷が開催された。2つのコリア戦犯法廷を順次紹介していこう。

 朝鮮戦争におけるアメリカ軍(建前上は国連軍)による戦争犯罪の一部は当時すでに調査・報告が行われていた。その代表が国際民主法律家協会や女性国際民主連盟の調査報告である。

 ところが、これらの戦争犯罪は、東西冷戦の対立構造の中で語られざる悲劇として半世紀放置されることになった。韓国における民間人被害者も沈黙に追い込まれていった。日本ではアメリカ側の大量宣伝に乗せられた議論が横行していた。国際的にも冷戦のもとでイオデオロギー論争とならざるを得ず、事実解明すらほとんど行われなかった。ニュルンベルク裁判・東京裁判から数年しか経ていないのに、国際社会は<ニュルンベルクの遺産>を早くも忘れようとしていた。

 戦争犯罪を当時から今日まで記録化してきたのは朝鮮側だけといってよい状況だった。朝鮮政府は、アメリカによる無差別爆撃による都市のせん滅や、化学兵器の使用を告発してきた。しかし、分断朝鮮の現実は、朝鮮政府の訴えに耳を貸すことを困難にした。

 ところが、90年代に韓国における調査・証言・告発が始まった。韓国では、日本軍性奴隷制問題など日本の戦争犯罪の解明が進むにつれて、朝鮮戦争におけるアメリカの戦争犯罪や、軍事独裁政権下における重大人権侵害にも光が当てられるようになり、さらにはヴェトナム戦争における韓国軍による戦争犯罪も取り上げられ、現代韓国史総体の見直しが進められた。

 こうした中、老斤里事件などのアメリカ軍による民間人虐殺事件が発掘され、調査が進められ、政治問題に浮上した。ジャーナリストによる調査が進み、沈黙していた関係者が証言を始めた。かくして隠蔽されていた歴史の一頁が明らかになり、ついにはクリントン米大統領も事実を認めざるを得なくなった。

 コリア戦犯法廷ニューヨーク法廷の主催は、アメリカ軍の虐殺蛮行の真相を究明する全民族特別調査委員会、国際行動センター(IAC)、平和のための在郷軍人会である。実際には、南北朝鮮、在日、在米の朝鮮人が協力して実現した。韓国側からは「朝鮮戦争におけるアメリカの戦争犯罪に関する韓国真相委員会」が、米軍による民間人虐殺事件11件の報告書を提出した。朝鮮側からも「民主的統一のための国民戦線調査委員会」が「朝鮮戦争におけるアメリカの戦争犯罪に関する朝鮮報告書」を提出した。民間人虐殺、都市村落など民間地域への無差別爆撃、文化財破壊、強姦・性暴力などである。こうして南北朝鮮の共同作業に基づく起訴状が作成された(前年の女性国際戦犯法廷における南北共同作業の前例があったことが大きかったのではないだろうか)。コリア戦犯法廷国際検事団は、ラムゼイ・クラーク(IAC、元アメリカ司法長官)を主席検事として、19件の戦争犯罪容疑でアメリカ政府を起訴した。

 法廷は、多数の被害側の証言や歴史研究者の証言などを聴取した。その後、ドゥプイ(元ハイチ駐在大使)を委員長とする陪審団(各国の法律家や平和運動家30人で構成)は、全員一致でアメリカ政府に有罪評決を下した。

<参考文献>

◆藤目ゆき編『国連軍の犯罪――民衆・女性からみた朝鮮戦争』(不二出版、2000年)

◆呉連鎬(大畑龍次・大畑正姫訳)『朝鮮の虐殺』(大田出版、2001年)

ホームページに戻る
Copyright Weekly MDS