ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2005年07月29日発行897号

第71回『コリア戦犯法廷(2)』

 2003年6月23日付でラムゼー・クラークが作成した起訴状は「朝鮮人民に対してアメリカ合州国政府が犯した犯罪」を告発している。被害者は「朝鮮人民」とされているが、これは南北朝鮮のすべての人民を意味する用語として用いられている。

 被告人は、トルーマンからジョージ・ブッシュに至るすべての歴代大統領、バインズからパウエルに至るすべての国務長官、フォレスタルからラムズフェルドに至るすべての国防長官、すべての陸海空軍司令官はもとより、CIAやその他の高級官僚や軍参謀のすべてを被告人としている。

 違反された法律としては、国際法、合州国法、コリア法その他の法律としている。まず国際法については、国連憲章2条4項、憲章6章および7章が指摘されている。またニュルンベルク裁判憲章の平和に対する罪、戦争犯罪、人道に対する罪が引用されている。そのほか、ハーグ陸戦法規慣例規則、1929年と1949年のジュネーヴ捕虜条約、1949年のジュネーヴ文民条約、1977年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書(特に48条、51条、52条など)、国際慣習法、1948年のジェノサイド条約、1948年の世界人権宣言、1965年の国連の不介入宣言などを列挙している。

 次に、朝鮮、韓国、中国、日本の国内法違反をも指摘している(ただし、日本法の具体的な名称は特定されていない)。

 犯罪行為は、3つの時期に分けて摘示されている。

 第1に、1945年9月8日から1950年6月25日である。つまり、第二次大戦後に米軍が朝鮮半島に上陸した時点からすでに犯罪が犯されていたことを的確に指摘している(これは、多くの歴史家や法律家が半ば意図的に見逃してきた重要な点である。この部分を隠蔽することによって、朝鮮戦争のどちらが先に戦端を開いたかを1950年6月に絞って議論する歴史家がいかに多いことか)。起訴状はこの時点ですでに平和に対する罪と人道に対する罪が行われていたとする。38度線による分断、社会経済への破壊的影響、多数の人民の意志の無視がその後の半世紀に及ぶ朝鮮の悲劇の原因となった。また、この時期すでに米軍は朝鮮各地で殺害、暗殺、拷問、虐待、投獄などの犯罪を繰り広げていた。指導者、作家、活動家が多数暗殺されたという。

 第2に、1950年6月から1953年7月27日である。つまり朝鮮戦争の主要な戦闘が行われた時期である。老斤里事件をはじめとする米軍による民間人殺害、無差別都市爆撃、生物化学兵器の使用などの戦争犯罪が指摘される。北側の民間人被害300万、南側の被害50万と推定される。『エンサイクロペディア・ブリタニカ』に従って、3年間の死亡総数は民間人350万、軍人111万としている。

 第3に、1953年7月から起訴状作成時までである。米軍による朝鮮敵視政策と南北分断による犯罪であり、起訴状はこれも平和に対する罪と人道に対する罪としている。また1980年の光州事件などもここで取り上げられている。特に重視されているのは1990年代の食糧、医療などを含む経済封鎖による重大被害(幼児死亡率の上昇、安全な水の供給の大幅減少など)である。

<参考文献>Indictment for Offenses Committed by the Government of the United States of America Against the People of Korea, 1945-2001.

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