ロゴ:国際法を市民の手に 前田朗 2005年11月11日発行911号

第78回『コリア戦犯法廷(9)』

 前回に続き、2003年にピョンヤンで開かれたコリア戦犯法廷起訴状の紹介である。

8)休戦協定違反−−1953年8月8日に休戦協定が結ばれたが、米軍は休戦協定に組織的に違反し、朝鮮半島で新たな戦争の挑発を行った。米韓相互援助協定により南朝鮮の占領を継続し、米軍撤退を拒否した。1956年6月7日には休戦協定による中立諸国監視委員会の活動を禁止した。韓国に核兵器を配備し、朝鮮に対して軍事的威嚇を行い続けた。

9)韓国における人権侵害−−在韓米軍は韓国人民にも狙撃や暴行を繰り返した。1958年2月には14歳の少年が拷問の果てに殺された。1966年7月の米韓地位協定により米軍による人権侵害はますます暴力的になった。連日のように韓国女性に対する殺人、強姦、暴力が行われた。ユン・グミ事件やホ・ジュヨン事件がその典型である。1945年から1999年の間の米軍犯罪は27万件である。1980年の光州事件では、全斗煥政権による民衆虐殺を支援した。

10)経済制裁と文化浸透−−米国は朝鮮に対して半世紀にわたって一貫して経済制裁と経済封鎖を課してきた。1960年の外国援助法、1975年の商取引法、1986年の輸出入銀行法など一連の法律で様々な経済制裁を行った。朝鮮戦争後は特に厳しい制裁であった。経済制裁などの敵対行為により、米国は、侵略の定義にあたる侵略を行い、他国の経済的独立を侵害している。また、思想的文化的浸透も見逃せない。思想的侵略は侵略戦争の計画や準備にあたる。米国は朝鮮の自決権を侵害している。米国のラジオ放送「自由アジア」が違法に朝鮮に対して放送され、一方的な宣伝がなされてきた。国連憲章73条1項は独立国家でない場合でさえ人民の文化が尊重されるべきだとしている。

11)核威嚇の犯罪−−米国による朝鮮に対する核威嚇は歴史上知られる中でももっとも重大な犯罪である。朝鮮半島の核問題は、1957年に米国が韓国に核ミサイルのオネスト・ジョンを配備したことに始まる。1980年代には中性子爆弾も持ち込まれた。1997年2月にはDU爆弾(劣化ウラン弾)も配備された。韓国に持ち込まれた核兵器は1万3000キロトンに達する。10万平方キロの韓国に極東最大の核基地がつくられた。1992年の南北共同宣言以後、米国は共同宣言を損なう政策を取り続けている。朝鮮半島における核問題解決のために、1993年には米朝共同宣言、1994年には米朝枠組み合意が締結されたが、米国はこれらを守っていない。それどころか、米国は朝鮮を「悪の枢軸」と決め付け、非難を続けている。最近では、米日韓による朝鮮敵視も進行している。

12)テロリズムと麻薬売買の犯罪−−第2次大戦後、米国は朝鮮南部で独立運動を弾圧し、要人を暗殺したり、逮捕し処刑した。独立や朝鮮統一や米軍撤退を求めた政治指導者たちが多数殺害された。米国が行ってきたテロリズムは各種の国際条約に違反する。また、米国は韓国に麻薬や覚醒剤を持ち込み、麻薬使用を広めた。1961年の麻薬条約、1971年の覚醒剤条約、1988年の麻薬売買禁止条約に違反する。

13)朝鮮統一に反する犯罪−−米国は朝鮮統一を一貫して組織的に妨害してきた。1948年の韓国建国以来、朝鮮を分断する犯罪を行なってきた。1972年の南北共同宣言(独立、平和的統一)にもかかわらず、米軍は韓国駐留を続けて妨害した。1970年代、米国は国際世論に「2つの朝鮮」を認めさせる努力をした。2000年の南北共同宣言にもかかわらず、米国はこれを拒否している。ことあるごとに南北協力に妨害をしている。自決権の原則や、不干渉の原則に違反している。

 以上のように、起訴状は半世紀を越える長い歴史における米国による朝鮮に対する侵略の罪、朝鮮における人道に対する罪、数々の戦争犯罪、数々の国際法違反を告発している。

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