2005年12月30日発行918号
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【No.19 ロンドン国際平和会議 / 「戦争3周年」は新たな行動の日】

シンディ・シーハン、英国へ! そのニュースはロンドン国際平和会議の一か月も前から広まり始めた。そして12月10日、国会議事堂から徒歩10分、王立園芸学会ホールに彼女は姿を見せた。総勢50名ものアメリカ代表団と共に。

平和ママ、シンディも

王立園芸学会大ホールを埋め尽くした各国代議員(12月10日・ロンドン)
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「イラクの人達は、自分で自分の国の運営ができます。それをできないなどと言うのは、傲慢で人種差別的な考え方です」。これが、我が子をイラク戦争で失った48歳の一母親の言葉だった。1400人の会議参加者、各種団体代表者は総立ちの拍手で彼女の発言に応えた。

「運動に利用されてるだけとは思わないんですか?」―BBCニュースナイトに出演した時、司会者は彼女を詰問した。シンディさんの答えは明快だった。「思いません。私は自分の考えで行動してます」。そして彼女は、会議の前後にも英国各地の集会を回り、様々な人と交流した。平和ママ(Peace Mom)は真に有言実行の人だった。

名前が読み上げられるだけで拍手がわきおこる。そんな人がシンディさん以外にも多数参加していた。英空軍特殊部隊SAS所属、05年6月までイラク従軍、ベン・グリフィン元兵士もその一人だ。「私は9年前に軍に志願しました。でも今、イラクに行ったのは間違いだったと思ってます。これは多国籍企業の利益のための戦争です」。非道な戦場の現実と広大な反戦運動の地平が次々と「反戦兵士」を生み出している。

ストップ戦争連合の役員、クリス・ナイナムが「国防省の資料によれば、軍は7千人もの欠員に陥っている。スコットランドに至っては、新兵募集ゼロだった」と報告すると、会場を揺るがす大歓声があがった。

イラク代表は占領ノー

昼食時間に学生は会場前で独自集会
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米代表団と並び大きな拍手を浴びたのがイラク代表団だ。アルサドル派のスポークスマンは入国を拒否され会議参加とはならなかったが、労組や女性団体等が発言し、参加者は配布ヘッドセットを通じて同時通訳を聞いた。

南部イラク石油労組のハッサン・ジュマ委員長は「迫害や拘束にめげず労働者としての権利を守るために頑張っている。今最大の目標は、全占領者の即時無条件退去、イラクの運命と決定権をイラク人の手に取り戻すことだ」と語った。

イラク女性の意思団体のハナ・イブラヒムは「ブッシュやブレアはヒットラーと同じです。すべての母親の皆さん、暴君を追い出すために、協力して下さい」と訴えた。

民族設立会議からはアヤトラ(シーア派高僧)シーク・アルカリシが発言に立った。「イラク人は占領の継続を望んでいる、と彼らは皆さんに言います。でも、大多数のイラク人は占領など望んでません。私達は分断を持ち込むあらゆる策動と対決しなくてはなりません」

朝10時から夜8時まで40人以上が発言に立った。英国の反戦運動のおよそあらゆる指導的人士が一堂に会した。80歳の老闘士、元大臣であり現ストップ戦争連合代表のトニー・ベンは「これこそ我が人生の中でも最も力強い政治運動だ」と語った。メディアは、「労働党のトニー・ベン、リスペクト党のジョージ・ギャロウェイと共に平和会議で発言」と報じた。ブレア人気が失調し、5月に全国地方選を控えている今、反ブレアの最先鋒に立つ両人士の動向が注目を集めている。

学生独自の集会も

昼食時間には学生だけの独自集会も行われた。冬の斜陽が差し込む凍て付く寒さの中、百人以上の学生達が会場前の道路に座りこんだ。小中高生反戦のアリスさん、西ロンドンのトマス君もそこにいた。英国全学連中執のスーザンさんの言葉が、本会議の結語でもあった。

「最後に、忘れないでほしい。イラク戦争3周年、06年3月18〜19日は新たな国際行動の日となる。この共同行動はこれまで以上に重要なものとなるだろう。街に戻り、キャンパスに戻って組織化を開始しよう。もう一度、一から反戦運動を作り直そう!」

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