2006年07月21日発行945号

【上原公子・国立市長の 国立市平和都市条例(案)に対する意見(抜粋)】

 無防備地域条例制定をめぐって全国初めてとなる首長の賛成意見が表明された。7月12日、東京・国立市議会で上原公子(ひろこ)市長は「自治体が国際法にのっとり戦争離脱をするという手法を取り入れた条例を、市民を守る最も有効な道として、国立市の条例にしたいと思います」と発表。さらに、「たとえ国の姿勢は『戦争のできる国』であろうと、憲法9条を実現化させようとする『無防備による戦争放棄のまち』が日本全土を包囲し、実質的な『無防備による戦争放棄の国』にならんことを、切に希望します」と訴えた。

 「国立市平和都市条例(案)」は、7月19日の本会議で採決に付される。


 去る6月23日、地方自治法第12条第1項及び第74条第1項の規定に基づき、「国立市平和都市条例(案)」制定の直接請求がありました。署名の数は、直接請求に必要とする法定数1,193人をはるかに超える4,362人に上っています。国立市民の平和に対する熱い思いの込められた条例制定請求を真摯に受け止め、意見を付します。

 

 ちちをかえせ ははをかえせ

 としよりをかえせ

 こどもをかえせ

 わたしをかえせ わたしにつながる

 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり

 くずれぬへいわをへいわをかえせ

 これは、1945年(昭和20年)8月6日、広島に投下された原子爆弾により被爆した峠三吉氏の「原爆詩集」の序に書かれ、世界中で読まれている詩です。

 この詩に象徴されているように、日本は第二次世界大戦で多くの犠牲を払っただけでなく、生き続けている限り原爆症という死の恐怖や病の苦痛と闘わなければならない、かつて世界が経験したことのなかった近代戦争のむごたらしさを背負った、唯一の被爆国となりました。自ら起こした戦争によって、自らの運命を破局におとしいれた日本は、再びその過ちを繰り返さないために、「日本国憲法」の前文で、すべての人間が平和的生存権を有することを明確にし、世界平和実現のために、国家の名誉をかけることを世界に誓っています。その平和への名誉をかけた証が、第9条の戦争放棄であり、非戦の国への出発でした。

 平和憲法の下、非戦の国として歴史を刻んできた中で、自治体にそもそも戦争参加、有事想定のまちづくりはありえず、多くの自治体は平和都市宣言をしながら、平和自治体としての不断の努力をしてきました。なかでも国立では、市民主導でさまざまな平和運動が展開されてきました。

 特筆すべきは、1982年(昭和57年)に、「国立市非核武装都市宣言」を議会自ら行っていることです。その宣言文には、こう記してあります。「われわれの国立市域にいかなる国の、いかなる核兵器も配備・貯蔵はもとより、飛来・通過することをも拒否することを宣言する。また国立市および国立市民は国内外の「非核武装」宣言都市と手を結び、核兵器完全禁止・軍縮・全世界の非核武装化に向けて努力することを宣言する。」さらに「戦争の放棄・軍縮及び交戦権の否認」を、国立市および国立市民の行動原理とまで断じています。すでに24年前に、国立市議会では、非武装・無防備を先んじて宣言していたのです。

 こうした、市民や議会の活発な平和活動の歴史は、国立は平和のまちとの印象を日本国中に発信していました。

 そして2000年(平成12年)には、新しい世紀を迎えるに当たり、国立市もようやく「国立市平和都市宣言」を行いました。「自由で平和な世界実現のために力をつくします。」と、あらためて、国立市民が平和への強い意思を宣言したのです。

 しかし、2001年(平成13年)、アメリカで起こった同時多発テロ、9・11事件を機に、日本政府は「非戦の国」から「戦争のできる国」づくりへと、大きく舵を切り替えてきました。テロ特措法、有事関連3法、イラク特措法と矢継ぎ早に法改正をしながら、憲法上あり得ない、自衛隊が戦地に駐屯するという実績まで作ってしまったのです。

 2002年(平成14年)には、このような国の流れに対し、私は「有事関連3法案」が敵国の武力攻撃から国民を保護するためといいつつ、周辺事態と共存することにより、すでに国民を広範な戦争に巻き込む可能性を引き起こすとして、廃案の意見書を政府に提出しました。有事法制3法案に関する44項目の質問を政府に行う中で、1.軍事的公共の名のもとの基本的人権の侵害、2.国民の協力と指定公共機関の責務は、国民統制につながる危険性、3.地方自治の侵害、という重大な問題があることが分かったからです。「この世に「正しい戦争」などというものはありません。」という平和都市宣言をした自治体の長として、有事法制は到底容認できるものではありませんでした。

 有事関連の法制化については、国内外で多くの問題が指摘されていましたが、2004年(平成16年)、有事関連の10案が成立し、「戦争法」がすべて出揃ってしまいました。つまり、戦争法が作られたということは、政府は武力攻撃事態と称する戦争状態を想定していることであり、戦争放棄・非戦の国の実質上の消去であり、国の基本的ありようの転換を意味します。

 再び、日本は政府の選んだ道により、戦争の可能性を生み出すことになったのです。

 それでは、万万が一、政府の言う有事つまり武力攻撃事態が起こったとして、政府の示す4類型、(1)着上陸侵攻、(2)ゲリラや特殊部隊による攻撃、(3)弾道ミサイル攻撃、(4)航空攻撃等、これらの状況下で、一体自治体は何ができるのでしょうか。戦争という事態に至っては、すでに自治体が市民の生命・財産を守りますといえる段階ではありません。誰一人の犠牲もなく、速やかに戦争が終結するなどという保障はどこにもないのです。

 戦争がいったん起きると、犠牲になるのは兵隊ではなく、大半が市民であるというのが現実であり、戦争とはそのようなものであるということです。

 日本国憲法前文に「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」と、現憲法制定の目的が書かれています。しかし、政府がそのパンドラの箱を開け、戦争への道が開かれたのであるならば、市民の生命財産を守ることを第一の任とした自治体としては、市民の平和的生存権を保障する新たな道を自ら探るしかありません。

 市民より直接請求として提案された条例は、国際法である「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書」第59条第2項に条件とされた都市づくりと、「無防備地区」の宣言こそが国立市平和都市宣言の精神を具現化する道だとしています。ジュネーヴ諸条約第一追加議定書第59条第1項には、「紛争当事者が無防備地区を攻撃することは、手段の如何を問わず、禁止する。」とあります。であれば、一般市民保護のために創られた国際法であるジュネーヴ諸条約第一追加議定書を生かしたまちづくりは、現実的な平和政策として最も効果的であり、かつ憲法第9条を自治体レベルで着実に実現することにもなります。

 政府は、戦争法である有事関連法案を策定するのと引き換えに、2004年(平成16年)、この「ジュネーヴ諸条約第一追加議定書」を批准しました。これにより、政府は自治体が無防備地区宣言をすることにより、戦争から自治体が離脱する権利を有することをも認めることになりました。よって、住民による無防備地区宣言の権利も保障しなければならないということです。

 「にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを」実現するために、そして、基本的人権と平和的生存権は不可侵なものだからこそ絶対に戦争は認められないという立場から、自治体が国際法にのっとり戦争離脱をするという手法を取り入れた条例を、市民を守る最も有効な道として、国立市の条例にしたいと思います。

 願わくば、このような条例を持つ自治体が全国に広がり、たとえ国の姿勢は「戦争のできる国」であろうと、憲法第9条を実現化させようとする「無防備による戦争放棄のまち」が日本全土を包囲し、実質的な「無防備による戦争放棄の国」にならんことを、切に希望します。

(以下略)

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