2006年08月11日発行948号

【出版を祝い林茂夫さんを偲ぶ会 / 無防備運動を全国に】

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 『無防備地域運動の源流』(日本評論社)が出版された。運動を提唱した軍事問題研究家林茂夫さんの遺稿追悼文集だ。7月29日都内で、編集委員会の呼びかけによる「出版を祝い林茂夫さんを偲ぶ会」が開かれた。


 林さんは2004年7月、自らが提唱した無防備地域運動の全国的な広がりを見届けないまま75歳で亡くなった。

 京大中退後、日本平和委員会に入り、長沼違憲訴訟(69年)の証人になったのを皮切りに全国反基地闘争の火付け役の一翼を担った。調査と実証に基づく自衛隊の分析にたけ、数々の著作を残した。88年、居住地の東京都小平市で奈良県天理市に続く無防備地域宣言を内容とした直接請求運動に市民とともに取り組んだ。以降、各地のどんな小さな集まりにも出席し、直接請求運動を訴えてきた。

地域に根ざした運動

 偲ぶ会には、家族や平和委員会当時の友人、現在無防備地域運動に取り組む人たち約50人が集まった。

 6人の編者を代表してあいさつした池田眞規弁護士は「でき上がった本をみて改めてすごい業績、すごい人だと思った。林さんの残したものを確認したい」。反基地運動、平和運動をともに担った仲間が次々に故人を偲ぶ。自衛官「合祀」拒否訴訟(78年)の弁護士を務めた今村嗣夫さんは証人として活躍した20歳代の林さんを振り返った。

 吉川勇一さんら、平和委員会当時の仲間も参加した。吉川さんは「軍縮問題と基地問題を聞くなら林さん以外にはなかった。私は共産党中央を批判して除名されたが、林さんは不満を抑えて慎重だった。しかし権力欲などとは全く無縁な人」とエピソードを語った。

広がる平和な街づくり

 無防備地域宣言運動全国ネットワークの桝田俊介さんは「04年、大阪市の取り組みを報告しようと思った矢先に悲報に接し残念だった。これまで15自治体で否決はされたが、先生が着眼された戦争のないまちづくりは広がっていくに違いない」。司会者から、各地で直接請求に取り組んだ人々が紹介された。

 妻の綾子さんは「平和運動にとっては損失だと思うが、夫はまだまだ生きていると思った」と、偲ぶ会の感想を語る。娘の史子さんは編集にもたずさわった。「父がしてきたことにびっくりした。『(父に)会ったことはないが、無防備運動を通して知り今日参加した』という方がいる。これからどんどん広がっていくとすごくうれしい」と述べた。

 閉会のあいさつに立ったのは編者の一人、山内敏弘龍谷大学法科大学院教授。「ジュネーブ条約追加第1議定書の意義は、当時国際法学者の中でも議論されなかったが、制定4年後に林さんが取り上げた。国際的な認識の深さは、地域に根ざした基地運動に取り組んできた発展の上に、必然的に生まれてきたものだろう。重大な時期に亡くなったのは残念だが、がんばっていこう」と締めくくった。

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