2006年10月06日発行955号

【「日の丸・君が代」強制は違憲 東京地裁が画期的判決】

 都立学校の教職員ら401人が訴えていた国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(予防訴訟)で9月21日、東京地方裁判所(難波孝一裁判長)は、被告・東京都教育委員会による教職員への「国旗・国歌」をめぐる起立・斉唱強制を違憲とし損害賠償の支払いを認める原告全面勝訴の画期的判決を下した。戦争国家を先取りし暴走する石原都政、教育基本法改悪を最重要と位置付ける安倍新政権は大きな打撃を受けた。


「石原支配」に歯止めをと提訴

全面勝訴に胸を張る(9月21日・東京地裁、
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 この訴訟は、都教委が03年10月23日、卒業式・入学式等の学校行事で、教職員に「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことを命じ、それに違反した場合は懲戒処分を科すという「国旗・国歌」強制の通達と指針(10・23通達―3面注)を出したことに端を発する。追加提訴も含め401人にのぼった原告教職員は「一律の強制は、教職員一人ひとりの思想・良心の自由、教育の自由を侵害することになるとともに、生徒の思想・良心の自由をも侵害することになるとの思いから」(予防訴訟をすすめる会判決後声明)提訴していたものだ。

 事実、通達以降、東京での処分は延べ345人(停職4人、減給34人、戒告307人)で同時期の全国の処分の9割を占め異常突出している。それと並行して、差別的人事考課が強化され職員会議での採決まで完全に禁止されるという、民主主義否定が徹底されていく。「生徒たちを主人公に」と工夫された卒業式などはすべて否定され、いまや子ども・親に対してもその意思を無視した起立・斉唱の強要が進行している。

 「日の丸・君が代」強制の10・23通達は、戦争体制作りを先取りし暴走する石原都政の教育支配の重要な柱に位置していた。判決は、これを憲法違反、教育基本法違反と明快に断じたのである。

歴史踏まえ人権守る

 判決主文は、「原告は国旗への起立、国歌斉唱、ピアノ伴奏の義務のないことを確認する。被告都教委は、不起立、国歌斉唱・ピアノ伴奏拒否を理由としていかなる処分もしてはならない。被告都は原告らに3万円を支払え」と命じた。現在の教育をめぐる攻防の中で画期的、歴史的な意義をもつ。「日本の教育裁判史上でもまれな価値ある判決」(予防訴訟をすすめる会)との評価は、決して言い過ぎではない。

思想・良心の自由侵害

 画期的意義の第1は、職務命令や懲戒処分を使った起立・斉唱・ピアノ伴奏の一律強制は憲法19条の思想・良心の自由を侵害するとして、憲法違反の判断を下した点だ。

 都教委・文部省など強制する側は、起立や斉唱命令は”外部的行為”の命令であり教職員の”内心(精神活動)の自由”を侵すものではないと正当化してきた。しかし、判決は「人の内心領域の精神的活動は外部的行為と密接な関係を有するもので切り離して考えることは困難かつ不自然」と都側の主張を退けた。

 自由権の侵害を認め、精神的損害を被ったとして都教委に「3万円を下らない」損害賠償を命じたのだ。

教育基本法違反の不当介入

 第2に、都教委の10・23通達と校長に対する締め付け等を教育基本法第10条で禁止された「不当な支配」にあたるとし、さらに、その下での校長の職務命令を「重大かつ明白な瑕疵(かし=誤り)」があり違法としたことだ。

 全国的な問題でこのように「教育行政の不当な支配」との判断が下されたのは、1970年、文部省(当時)の教科書検定を教基法・憲法違反で断罪した杉本判決にならび、画期的なものといえる。

 判決は、通達が国旗国歌をめぐり各学校の裁量を認めず原告らに強制することで「教育の自主性を侵害するうえ、教職員に対し一方的な理論や観念を生徒に教え込むことを強制するに等しい」と述べる。学習指導要領の国旗国歌条項や法的効力そのものは否定しないものの、「教職員の義務」ではないとして強制は教基法10条違反と明確に指摘した。

 強制する側からすれば、教育基本法第10条はそれほど深刻な足かせとなるのであり、法改悪の照準がここにあるのもそのためだ。

軍国主義の支柱と認定

 判決は、「日の丸・君が代」が「明治時代以降、第2次世界大戦終了まで、皇国思想や軍国主義思想の精神的支柱として用いられてきた」ことを歴史的事実として踏まえ、「なお、宗教的、政治的にみて日の丸、君が代が価値中立的なものと認められるまでには至らず、国民の間に入学式、卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱に反対する者も少なからずいる」事実を確認した。

 確かに、判決は一方で「現国旗国歌法下で、生徒に日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、国旗・国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てるのは重要」とする。裁判官の立場は、政府・文部省の一連の攻撃全体を批判するものではない。

 だが、最低限の良識さえあれば歴史的事実は否定できないし、憲法・教育基本法に基づけば「日の丸・君が代」強制は違憲・違法と断じる以外にないことを、判決は示した。誰が見ても正義は原告の側にあるのである。

教基法改悪阻止に勇気

 判決は、原告401人とともに支援者・父母・市民などの粘り強い闘いの成果だ。

 翌朝、同僚や生徒らの「おめでとう」の拍手がわいたという都立学校の職場だけでなく、ニュースは全国で闘う人々に大きな勇気を与えた。

 法治国家である以上、闘いがあればむきだしの教基法否定、憲法否定は、権力側も容易ではない。通達を撤回させ、職務命令を封じ、強制を阻む展望は開かれた。

 くしくも教育基本法改悪を第1に掲げた自民安倍新総裁誕生翌日の判決。小泉改革でめちゃめちゃにされた市民・父母の怒りと結べば、教育基本法改悪は阻止できる。

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