1996年、韓国の済州島から沖縄県に友好の印として馬が贈られた。ふたつの島の交流は、韓国の古い書物に、遭難して漂着した済州島民が沖縄特産の古酒・泡盛の存在について記録していたことがきっかけだった。もしもこれが中世だったなら、「耽羅(タムナ)王国から琉球王国に馬が贈られる」と古い書物に記されたかもしれない。
「耽羅」という名にはじめて触れる人もいることだろう。沖縄がかつて琉球王国であったように、済州島もまた、耽羅王国という長い歴史を持つ独立国だったのだ。
やがて耽羅は高麗に組み込まれ、済州と呼ばれるようになる。高麗を侵略したモンゴル帝国は、高麗の独立は認めたものの済州島の戦略的な重要性を考慮して直轄地とした。さらには大規模な牧場を設置して戦闘馬を育てた。それ以来、済州島は馬の名産地として発展することになる。
韓国には「人の子はソウルへ送り、馬の子は済州へ送れ」ということわざがある。教育は、その子に適したところで受けさせるのが大切という例えだ。ソウル一極集中の「元凶?」ともいえることわざではあるが、翻していえば、済州島が馬の生産がいかに盛んで質が高いのかを如実に伝えているといえよう。
その済州島の特産で、国の天然記念物であるチョランマルのつがいが沖縄県に贈られた。「チョラン」とは果樹を意味するモンゴル語に由来する言葉で、「マル」は馬。そのむかし朝鮮半島には、果樹の下をくぐれるほど小さいことから「果下馬」と呼ばれた馬がいた。チョランマルは、小型の朝鮮半島在来馬とモンゴル馬との交雑によってできたと考えられている。
ところで、友好の印は元気にいるのだろうか? 沖縄こどもの国の比嘉飼育課長に聞いた。
「やってきて、4、5年たったときでしたか、オスがハブにかまれましてね。もう、ダメかと思いましたよ。(ハブが)放飼場にでてきたので、面白がって遊んでいたんでしょうね。かまれて顔がパンパンに腫れました。それ以来、顔には触らせてくれんのですよ」と、懐かしそうに笑った。
チョランマルのつがいは一度子どもを産むが育たず、なかなか二世誕生には至らなかった。しかし昨年7月、待望の子どもが産まれた。7月30日に生まれたので「ナナミ」と名づけられたメスは、元気に園内を走っているという。
沖縄こどもの国では、来園当初、「済州馬」と展示していたが、「済州」を「さいしゅう」と読むか「チェジュ」と読むかで、あたかもちがう島があるようにとらえる混乱があり、数年後に「チョランマル」とした。
ちなみに韓国では、96年に済州馬を正式名称としたが、人々は愛着のあるチョランマルと呼び続けている。