2007年07月13日発行993号

【金城実 100m彫刻展 / 6・22「恨之碑」1周年集会 / 加害と被害の歴史に向き合う / 恨を希望に変えるとき】

 沖縄戦終結62年の6月23日「慰霊の日」―この日を前後して彫刻家・金城実さんの作品展と「恨(ハン)之碑」建立1周年記念集会が沖縄・読谷村で開催された。それは、真実否定の教科書検定に生存者や遺族が怒りの声をあげる「集団自決」の問題、そして、被害者としての沖縄だけではなく加害者としての視点からの朝鮮人軍夫や「慰安婦」の問題を、鋭く浮かび上がらせた。2つの取り組みについて、本紙「ウチナーびけん」執筆者の那覇和子さんに伝えてもらった。


 6月22日、梅雨明けの強い日差しの中、「恨之碑建立をすすめる会沖縄」を中心にした1周年記念集会実行委員会主催による恨之碑建立1周年集会が読谷村瀬名波の「恨之碑」前で行われた。

 彫刻家金城実さん制作の「恨之碑」は、韓国の慶尚北道英陽(ヨンヤン)と沖縄の読谷村瀬名波に対になって互いの国の方角を向き建立されている。”恨”とは、読谷村在住の在日二世ユ・ヨンジャさんによれば「長い長い間に積もり積もった悲しみや憎しみが沈殿し、発酵し、やがて、人と人との出会いによって解放されること」という。

 追悼会は、鄭光均(ジョン・カンギュン)さんのオカリナ演奏に始まり、沖縄に強制連行された元軍夫の姜仁昌(カン・インチャン)さんをはじめ共同代表の有銘政夫さん、在日本大韓民国民団、在日本朝鮮人総聯合会の代表がともに碑に献花した。これまで韓国と朝鮮の代表が同じ式典に参加することはなかったのだが、少しずつ市民間の交流や理解が広がるきっかけとなりそうだ。

 午後7時からの記念集会で姜さんは「私の胸の中の恨はすべて解けていない。日本政府は私たちに謝罪しなければならない。だまして連れてきたのだから」と語った。また、靖国合祀取り消し裁判原告の李熈子(イ・ヒジャ)さんも「父が合祀されている靖国神社は私たちに知らせることもなく、家族の意見を無視し、合祀を正当化している。教科書問題にしても日本政府は責任を認めていない。歴史の事実を記録しつづけ、マラソンのように最後までやり遂げることが大事だ」と強調した。

 共同代表の平良修さんは「報告集は『希望』と命名。副題に『未来に恨を残さないために、未来に希望を打ち立てるために』とした。これからが正念場。日本と沖縄、朝鮮半島の人々が本当に平和な社会実現のために『恨之碑』を礎にした共同作業をすすめましょう」と会を閉じた。

どうする!沖縄

 読谷村役場近くの旧米軍飛行場を会場に5月11日から6月24日までの45日間、14のイベントとレリーフ展示会が行われ、約1万人が訪れた。

 高さ4メートルの巨大なキャンバスには「戦争と人間」をテーマに、沖縄戦や米軍、日本政府との対立の場面を切り取った作品が並び、総延長は100メートルをはるかに超えた。

 作品に込められたメッセージは、人間臭く独特の存在感があり真直ぐ観る人に訴えている。十数年かけた作品群から、私の印象に残ったのが「恨」だ。恨之碑と同じ像で、金城さんが制作中に作品と向き合い考えた話を聞いた時、共感できたからだ。沖縄の人たちの多くは、沖縄戦を家族が亡くなった悲しみ―「戦争被害者」として振り返る。作品は同時に、皇民化教育の下で子どもまでもが朝鮮人を差別し、人間として認めなかったことを62年前の過去の出来事にするのではなく、きちんと事実に向き合い、記録していくことを求めている。

 レリーフ最後の作品は、期間中に読谷高校美術部生徒と市民が取り組んだ共同制作。多くの民衆と憲法9条、「集団的強制死」と書かれた標識が鉄格子に入れられ、「恨を解き、浄土を生きる ―ハイ!チャースガ!ウチナー!(さぁ!どうする!沖縄の民衆)」と刻まれている。

 最終日には、村内の子どもたちによる空手の披露と海勢頭豊コンサートが行われ、時間が過ぎても大賑わいだった。制作者の金城実さんは「まさか本当にできると思っていなかった。100メートルが完成し、すごいというがそんなことはどうでもいい。いま一人びとりが声を上げないといけない」と訴えた。

当事者として行動

 レリーフ展示会開催期間中、沖縄では、辺野古への海上自衛隊掃海母艦の投入、陸上自衛隊情報保全隊による市民監視活動が明らかになった。「集団自決」に軍命の存在を否定した教科書検定への県民の怒りは、「慰霊の日」を歴史書き換えを許さない怒りと誓いの日にさせた。さらに、6月24日には、与那国に米軍掃海艦2隻の強制寄港、一体どこまで沖縄県民を愚弄するのだろうか。

 イベント会場正面の舞台に「45日間ありがとうございました。そして、チャースガ(どうする)沖縄」とあった。私たちは、今まで日米の軍事戦略の中で翻弄されてきたが、加害も含め本当の意味で沖縄人「当事者」として考えたことがあったのだろうかと気づかされる。人に任せるのではなく、自分の心で考え事実と向き合い一人びとりが声を出すことで、未来に希望を残していけるのではないだろうか。

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