2007年07月27日発行995号

前田 朗の「非国民がやって来た!」(26) 金子文子・朴烈(1)

 谷あひの早瀬流るる水の如く

砕けて砕く反逆者かな

 叛逆の心は堅くあざみぐさ

いや繁れかし大和島根に

              

 金子文子と朴烈は、大逆事件で有罪とされ、死刑を言い渡されました。

 大逆事件とは、60年以上前の刑法73条で、天皇制に楯突く行為を処罰していました。天皇を殺そうとしたとか、天皇を殺そうと思って何かした。何もしていなくても準備すれば大逆罪。刑罰は死刑です。実際に殺した事件はありません。

 裁判では、朴烈が爆弾入手計画を持っていて、人に爆弾入手を頼んだことが「事件」の中身とされています。何のためかというと天皇の息子の皇太子(後の昭和天皇)を殺そうと思った。そのために爆弾を手に入れようと考えた。東京では難しいので中国や朝鮮の知人に連絡を取って爆弾入手を頼んだことになっています。

 最初に頼んだ相手は別の事件で捕まってしまったので駄目でした。次の相手はあまり信用できないので依頼を取り消したため、結局何もしていません。皇太子に爆弾をと考えて、爆弾を手に入れたいと思った。これが「事件」のすべてです。実は本当に頼んだかどうかもはっきりしません。

 事件が発覚したのは関東大震災の時です。震災の最中に2人は逮捕されます。1923年9月1日に関東大震災が起きました。膨大な被害が起き、人々が亡くなりましたが、この時、「朝鮮人が井戸に毒を投げた」――憲兵隊や警察がこういうデマを流しました。地震のどさくさにまぎれて噂が広まり、興奮した日本人が次から次と朝鮮人を殺します。約6000人の朝鮮人が殺されました。関東大震災朝鮮人虐殺です。どさくさに紛れて東京の憲兵隊は大杉栄と伊藤野枝を殺します。金子文子と朴烈は「保護」という名目で拘束されました。2人だけではなく仲間の不逞社グループのメンバーたちも沢山捕まります。理由はありません。地震のため混乱しているなか、こいつ等捕まえて放り込んどけという形で捕まえます。

 捕まえてから色々調べたところ「実は朴烈が爆弾を手に入れようとしていた」。そういう話がでてきます。それで皆を追及していくと「実際に人に頼んでいた」という話になります。朴烈と金子文子を追及したところ「その通り」。文子は実際には何もしていません。何もしていないけれども、自分が天皇制に反対というのは間違いない。夫である烈が天皇制に反対し、皇太子を殺そうと思って爆弾を手に入れようとしていた。だったら自分も夫と同じ考えです、というのが文子の態度です。そこで夫婦でやったということになり、大逆罪で起訴され、裁判が行われて夫婦2人が大逆罪で死刑判決を受けることになります。後に無期懲役に変わりますが、これが関東大震災時の大逆事件です。

 文子は「谷あひの――」と詠んで自ら「反逆者」という言葉を使っています。「叛逆の――」は後に獄中で作った短歌です。天皇制との思想の闘いを敢行する自覚と宣言です。

<参考文献>

山田昭次『金子文子』(影書房、1996)

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