2021年07月09日 1681号

【絵描きはコロナ禍、何ができるか/山内若菜展 はじまりのはじまりin藤沢/命は何度でもよみがえる】

 原爆の図丸木美術館で開催された「山内若菜展 はじまりのはじまり」が6月15〜16日、若菜さんの地元・神奈川県藤沢市に舞台を移した。福島・広島・長崎の「命の三部作」が初めて一堂に並べられた。

 「大きな絵を藤沢でも見たい」という思いが出発点だった。藤沢の市民が実行委員会を立ち上げ、会場確保からチラシづくり、巨大作を吊るす木枠の制作、照明に至るまでサポートし、展示が実現した。

 会場の藤沢市民会館集会ホールは本来、絵の展示に向いていない。しかし、若菜さんは2012年8月、ここで行われた震災復興チャリティーイベントで、想像だけで描いた牧場展を開いた。福島に通うきっかけとなった大切な場所だ。

 三部作の第一作『牧場 放(はなつ)』の起源は、「動物はモノじゃない、家族なんだ」という牧場主の叫びを暗いモノクロームで表現した長さ15bの壁画。多彩な色を使ったその進化型といえる本作では、牛とも馬とも見える動物の背に牧場主の娘が座り、ともに駆けていく。命は何度でもよみがえるという希望を込めた。

 二作目は広島に取材した『刻(とき)の川 揺(ゆれる)』。「刻の川」は太田川の夜をイメージしている。原爆ドーム、被服支廠、イサム・ノグチがデザインした橋の欄干、毒ガス製造の島なども描き込まれた。「広島には加害の歴史を含めて人びとが闘いながら残してきた建物、見るべき風景がいっぱいある」と若菜さん。

 長崎を題材にした『天空 昇(のぼる)』は、丸木美術館での展示中に完成した。浦上天主堂や眼鏡橋を背景に、いったん火の中に入った鳥人(とりびと)たちが弱った体を再生させ、もう一回飛翔する。フェニックス=不死鳥のように、こんな世界だけど絶対死なない、という意思を知らしめる。飛ばないが走るヤンバルクイナの丈夫な足のイメージも組み合わせた。

 藤沢展を前に急ぎ制作したのが、藤沢の江島神社に伝わる絵巻「江島縁起」にヒントを得た『天女と龍』。子どもをさらい、田畑を荒らす「五頭龍(ごずりゅう)」とは先住民族を、統治しやすいように権力側がそう見立てただけではないか。そうではなく、先住民族と後から来た民族がせめぎ合いながらも、天女が奏でる音と龍の舌とを交配させ、力を合わせて自然と共生していく。そんな物語にした。

 『牧場 放』は第8回東山魁夷記念日経日本画大賞に入選。上野の森美術館に展示された28点の入選作は若菜さん作品以外すべて、四角形の枠に収まっていた。若菜さんは言う。「生命体は真四角というような機械的な存在ではない。絵は心の形をしている。何か不定形のもの、そういう形がすごく心にマッチする」

 弱い者のもつ大きな力を物質化する。権力側が忘れさせたい、小さくされている存在を大きな絵に描く。それが絵の醍醐味だ。「絵は直接は社会を変革できないけれど、一人ひとりの心の繊細な部分に届く。そういう作用がある絵を描けるよう頑張る」。若菜さんは決意を新たにした。





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