2021年07月30日 1684号

【未来への責任(327) 遺骨土砂 具志堅さんハンストを共に(2)】

 ハンストテントには若者もやってくる。「昨日のテレビ見ました。自分は知らなかった。海に投げ入れるなんて。絶対許されない!」と署名に駆け寄った。別の若者も「どんな気持ちでみんな自決していったと思っているんだ」。声は震えていた。第1次ハンストでは見られなかった光景だ。

 ハンスト3日目(6月21日)は場所を平和記念公園に移した。雨の中、一人の遺族が来られた。具志堅さんの前で、降り続く雨で濡れている地べたに両膝と両手を付け、傘もささず長く頭を下げている。無言であったが具志堅さんも同じように頭を下げていた。

 昼の集会で具志堅さんは「毎年この時期になると、ご遺骨に安らかに眠ってくださいと言う。でも今年は安らかに眠れる状況じゃなくなった。ご遺骨に一緒に闘ってもらわないといけない」と話した。

 具志堅さんのこんな話が印象に残る。「デニーさん。助けてくみそーれ」―第1次ハンストの時の具志堅さんの言葉が新聞にもよく報道された。「助けて下さい」というお願いの意味でただの沖縄方言かと思っていたが、ガマで崩れた奥にいた家族と手前で助かった家族の会話だそうだ。奥にいた家族は餓死してガマで死んでしまった。こんな悲劇が背景にある言葉だ、と集会でみんなに説明していた。

 昼すぎに現れた女性の周りを囲んでマスコミが取材している。後から聞いたらあの赤木ファイル≠フ赤木雅子さんだった。「戦没者を2度殺すな」という看板に、夫と同じだと共鳴したと言う。わざわざ日帰りで応援に来たとのこと。翌日、赤木ファイルが公開された。

 日本山妙法寺の方から、東京での宗教者の院内学習会で韓国の遺族のことを話してほしいと依頼があった。東京の大韓教会も参加していて、今後東京の行動があれば応援できるとのことだ。韓国遺族ともズームで結ぼうと思っている。

 5時30分に行動が終わると具志堅さんもそそくさと寝る準備に。私も眠りにつこうとすると、琉球大学の基地問題ゼミの1年生たちが激励にやってきた。具志堅さんは起き上がり学生たちが半円になって講義と交流が始まった。「厚労省は遺族のためにちゃんとやってますか?」という質問に、私が呼び出され厚労省との交渉の経緯などを話すことに。9時も過ぎ眠りにつこうとすると、また具志堅さんから呼び出される。遺骨収集のボランティアで沖縄に来ている青年団からは安定同位体比検査で育った場所が分かるという検査について相談された。

 ハンストテントでは色々な出会いがある。

(「戦没者遺骨を家族の元へ」連絡会 上田慶司)

 
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