2021年08月06日 1685号

【障がい者差別にホロコースト揶揄/恥さらし大会と化した東京五輪/命と人権軽んじる政治の反映】

 自国の恥部を世界にPRするというオリンピック初の趣向だったのか。いやまさか。生命を冒涜する連中が政治や文化を牛耳っている「反人権国家・日本」の現実が露呈しただけだ。東京五輪開幕直前に起きた開会式担当者の辞任・解任ドミノ≠フことである。

開幕前の辞任・解任

 オリンピックの開会式は近年、開催国がドヤ顔で「お国自慢」をする政治ショーと化していた。日本政府やその意を汲んだ大会組織委員会もそうするつもりでいた。「我が国が活力を取り戻した姿を世界に発信したい」(安倍晋三首相=当時)というやつだ。

 しかし、その思惑は本番前に潰えた。開会式の楽曲担当者が障がい者差別で辞任、演出担当者がホロコースト(ナチスによるユダヤ人の集団虐殺)揶揄で解任では、どのような内容であれ「感動」などしようがない(実際の内容も「やっつけ感」満載のひどいものだったが)。世界があきれた騒動の経緯をまずはおさらいしておこう。

いじめを超えた虐待

 開会式4日前の7月19日、楽曲制作担当の一人だったミュージシャンの小山田圭吾が辞任した。彼が中高生の頃に障がいを持つ同級生への虐待行為をくり返していた事実が指摘され、批判が殺到したことが原因だ。

 新聞やテレビは小山田の行為を「いじめ」と表現し、詳しくは報じなかった。このため「子どもにはよくあること」「若気の至りじゃないか」と感じた人もいるようだが、それは誤解である。彼がやったことは人間の尊厳を根底から否定する暴力であり、障がい者差別以外の何ものでもない。

 小山田が「アイデアを提供した」という虐待の概要はこうである。▽同級生を段ボール箱に閉じ込め、皆で笑いながら反応を観察した▽排泄物を食べさせたうえにプロレス技をかけた▽全裸にして紐で縛り上げ、自慰行為をさせた▽パンツを脱がせて女子生徒のいる廊下を歩かせた―。

 これほど凄惨な虐待行為を、小山田は雑誌のインタビュー(1994年1月と95年8月)で、笑える話として語っている。すでに著名なミュージシャンになっていた彼にしてみれば、中高生時代の武勇伝のつもりだったのだろう。反省している様子は感じられない。

 これらの発言は、雑誌の発売当時から批判され、その後もネット上ではたびたび炎上案件となっていた。つまり、周知の事実だったのだ。ところが、組織委は小山田を楽曲担当者に起用した。差別発言が再び注目されても続投の方針を示し、本人の辞任表明まで擁護していたのである

大量虐殺をネタに

 開幕前日の22日には、開会式のショーディレクターを務める小林賢太郎(劇作家)が解任された。彼がお笑い芸人時代に行ったコントで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という表現を用いたことが問題視されたのだ。人道に対する罪を笑いのネタにするなんて、それ自体が人道に反している。

 当然、米国のユダヤ人人権団体は非難声明を即座に出した。「どんな人でも、どんなにクリエイティブでも、ナチスによる大量虐殺の犠牲者をあざ笑う権利はない。この人物が東京オリンピックに関与することは600万人のユダヤ人の記憶を侮辱することになる」

 日本政府は事態収拾に動き、組織委に厳しい対応を求めた。菅義偉首相は「言語道断。まったく受け入れることはできない」と述べた。ただし開会式については「予定通り行うべきだ」と強調した。結局、小林の解任だけで、開会式はそのまま実施された。

 実は、組織委の理事たちの間では「開会式の中止または簡略化」で意見が一致していたという(7/23スポーツ報知)。この意見は武藤敏郎事務総長に伝えられたが無視され、再議論もなかった。ある理事は「幹部数人で決定する体質は変わらなかった」と嘆く。

 「時間がない」と見切り発車を正当化。済んでしまえば検証も反省もなし。そうした日本のお家芸が五輪本番でも発揮された。巨額の費用をかけて世界に発信したのが「無責任ニッポン」だったとは情けない。

背景に国家私物化

 開会式をめぐる騒動の本質は次のネット投稿に集約されている。いわく「オリパラ運営部やクリエーターは特権階級の人ばかり。いじめに遭うこととは無縁の上級国民様。人の痛みのわからない人たち」「社会でデカい顔してるのは、人を虐めたり差別したりするような奴らってことよ」

 そう、今回の一件は弱肉強食を行動原理とする支配層がこの国を私物化していることの証しである。人権意識が著しく低い連中が仲間内で仕事を回してきたことの結果なのだ。

 具体的にいうと、開閉会式演出の総合統括だった電通出身の佐々木宏が小林を演出担当に抜擢し、小林が中心となった人選で小山田が音楽担当に起用された。佐々木は組織委員会の会長だった森喜朗のお気に入りで、リオ五輪閉会式での「安倍マリオ」演出を手掛けたことで知られる。

 その佐々木は女性タレントの容姿を笑いものにする演出プランがリークされ、今年3月に降板した。森も女性蔑視発言で会長を辞任している。類は友を呼ぶとはこのことを言う。

 タレントや文化人の中には「過去の過ちをいつまで断罪するのか」「現代の感覚で当時を裁くのはおかしい」式の論法で小山田らを擁護する者がいる。これは歴史修正主義者の詭弁とまったく同じものだ。過去の戦争犯罪を反省することなく、正当化さえ企てる右翼政治家の言動が、人権侵害の加害者に甘い風潮を助長しているのである。

 そもそも、新型コロナウイルス感染の世界的大流行の中でオリンピックを行うこと自体が人命軽視の極みである。それなのに、菅首相は「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」(7/21米紙ウォール・ストリート・ジャーナル日本版)と言い放った。

 そんなに簡単なことだったら、コロナ感染が大爆発する前にオリパラをやめてくれ。それから首相も辞めてくれ。もちろん、五輪を強行したデタラメ政策の検証も忘れずに、だ。(M)





 
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