2021年09月17日 1690号

【アフガニスタン「邦人退避失敗」/便乗し自衛隊派兵拡大狙う/衆院選で戦争勢力一掃だ】

 アフガニスタンのガニ政権崩壊と米軍撤退で、首都カブールは旧政権を握っていたタリバンの手に落ちた。米軍主導の「対テロ戦争」の一員としてアフガニスタン占領政策に加担してきた各国政府は慌てて大使館を閉鎖。職員や現地協力者はアフガニスタン国外に逃亡を図った。

 日本政府も同様だ。8月上旬から日本大使館やJICA(国際協力機構)職員、現地スタッフ約500人の民間チャーター機による退避を検討し始めていた。大多数の現地在留日本人などは占領政策と支配の一端を担っており、アフガニスタン民衆に連帯する存在ではなく、タリバンの標的となることも明らかだった。


自衛隊頼みで対応遅れ

 タリバンが大統領府を制圧した8月15日、日本大使館員12人は英軍機で国外脱出した。だが、他はほとんどが取り残された。

 8月22日、菅政権は自衛隊機派遣を決定、翌23日、岸信夫防衛大臣が派遣命令を出し、C130輸送機2機、C2輸送機1機を飛ばした。現地活動期間は25日〜27日の3日間弱であった。

 自衛隊法上の派遣の要件である「安全」が確保できず、25日に到着した自衛隊機は、米軍支配下にあったカブール空港で駐機。日本人らはバスで空港に向かったが、自爆攻撃が発生し、空港にたどりつけなかった。結局、自衛隊機が運んだのはガニ政権関係者14人と共同通信カブール通信員の日本人1人のみ(9/1朝日)。「最後は自衛隊頼み」が対応を遅れさせ、「国外退避作戦」は失敗に終わった。

 ジョー・バイデン米大統領が9月11日までの駐留米軍完全撤退を表明したのは4月。この後、各地でタリバンは攻勢を強めていた。2001年の米国を中心とした「有志連合」による侵略戦争以来、アフガニスタン政府軍はタリバンをはじめ内戦に対応できず、実質は米軍ら占領軍が対峙してきた。その米軍が敗走するのだから「安全な退避」を実行するのであれば、民間機でも可能な時期に国外に出すべきだった。

安倍戦争法の矛盾

 タリバンの制圧下、事態は民間チャーター機では危険な状況に陥っていた。タリバンは、政府軍から寝返った兵士などを通じて米軍が提供していた兵器で武装していた。カブール陥落後に航空機を飛ばせば、携行式誘導ミサイルの餌食になる可能性が十分ある。誘導ミサイルをかわすための装置チャフやフレアのない民間機は飛ばせず、装置を備えた軍用機(自衛隊機)でなければ対応できなかった。

 ここで、明らかな矛盾があらわになった。自衛隊機派遣の根拠となった「自衛隊法第84条の4(在外邦人等の輸送)」は、災害・騒乱などの緊急事態時に外務大臣から防衛大臣に「邦人輸送の依頼」があった場合、「当該輸送を安全に実施することができると認められるとき」に限っている。

 自衛隊機とした「理由」は、民間チャーター機では「危険」だから。だが、自衛隊機派遣は「安全」が要件。要件を満せば「安全」だから民間機で大丈夫のはず―とどうどう巡りだ。

 このようにつじつまがあわなくなる理由は、自衛隊法改悪の経緯にある。

 第二次安倍内閣による「武力攻撃事態法」など憲法第9条に反する「戦争法」の一環として、「在外邦人の輸送」が自衛隊の正式任務として書き加えられた。戦争法は安倍による「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と「積極的平和主義」を実現するために強行された。「地球儀を…」は世界のどこにでも日本が介入することを意味し、「積極的…」は武力による威嚇、武力行使による紛争の平定だ。両方あわせて「いつでもどこででも海外派兵・武力行使」を狙った。とはいえ、武力行使を禁じた憲法を変えないまま法制定するために「安全」を要件としないわけにはいかなかったのだ。

 安倍戦争法強行後、初めての大規模な戦地派兵でごまかしが改めて露呈した。

岸田は「法改悪」に言及

 この事態に、自民党次期総裁を狙う岸田文雄前政務会長は早速「現行法上では現地の安全を確認しなければならない。相手政府の同意を取らなければいけない」として派兵要件を緩和する「法改正」に言及。橋下徹日本維新の会元代表も「危険な場所だからこそ、自衛隊が行かなければならない」と岸田をたきつけた(9/5フジテレビ『日曜報道 THE PRIME』)。

 退避失敗≠ノ乗じた戦争法のさらなる改悪など許してはならない。衆院選は、自民党とその補完勢力である維新の会など戦争勢力を一掃し、戦争法廃止へと向かうチャンスだ。

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