2021年10月08日 1693号

【読書室特集/「デジタル改革」の正体/民主主義を土台から壊す/選んだつもりが操られていた】

 菅政権の終焉にあたり、グローバル資本が最大の成果と讃える「デジタル改革」の正体を読書室特集で考えてみたい。人びとを巨大な監視システムに囲い込み、資本や国家の思うままに操る―。「デジタル改革」の行き着く先は、人間の「自由意思」さえ存在しない世界なのだ。

監視資本主義とは

 「デジタル改革」は資本主義の生き残り戦略である。ショシャナ・ズボフ(ハーバード・ビジネススクール名誉教授)は「監視資本主義」と命名した。彼女は言う。「監視資本主義は、新たな経済的要求が推進する不正な力であり、社会規範を無視し、民主主義社会の構築に不可欠な個人の自律性と基本的権利を無効にしようとしている」((1))

 これだけだとわかりづらい。物事をかみくだいて説明するにはエンタメの力を借りるのが一番だ。というわけで、社会派推理小説を得意とする相場英雄の最新刊『レッドネック』((2))を紹介したい。

 大手広告代理店の営業社員・矢吹蛍子は社命を受け、ケビン坂田と名乗る人物と会う。極秘プロジェクトへの招請文書を手渡すためだ。データサイエンティストだというケビンは、まったくの初対面なのに、蛍子の趣味や交友関係、洋服をいつどこで買ったかまで次々に言い当てた。SNSをみれば簡単だという。

 SNSは何で儲けているか知っているかと尋ねるケビン。蛍子が「広告」と答えると、バカにしたようにこう言った。「矢吹さんみたいなおめでたい人から個人情報を巻き上げ、これを他の強欲な企業に売りさばくのが本業だよ」

 ケビンは60億円のギャラでオファーを受け、作戦を開始する。作戦名はレッドネック。レッドネックは侮蔑的な意味合いを持つ米国の俗語で、「無教養な白人貧困層」のことを指す。

 やがて蛍子はケビンの過去を知る。米大統領選でトランプ陣営の一員として活動していたこと。有権者のSNSから収集した個人情報を利用したネット世論操作を行っていたこと。その中には対立候補を貶めるフェイクニュースの拡散もあったこと等々。

 ケビンが標的にしたのは、競争社会の「負け組」とされる人たちだった。彼らの不満や怒りをトランプ支持へと糾合したのだ。同じことを日本でもやるつもりなのか。東京都知事選が目前に迫っていた…。

誘導される世論

 『レッドネック』には元ネタとなった実話がある。トランプが当選した2016年の米国大統領選挙を舞台とした「ケンブリッジ・アナリティカ事件」だ。事件の概要をみていこう。

 ケンブリッジ・アナリティカ(以下CA社)は英国の選挙コンサルティング会社で、「行動マイクロマーケティング」と呼ばれる心理操作を得意としていた。様々な個人情報を解析することで個人の性格や趣味嗜好を予測。それに合った働きかけを行うことで行動変容を促す手法である。

 CA社は「心理テスト」アプリを使って8700万人分の個人情報をフェイスブックから不正に入手しており、これを米国人顧客のために使った。顧客の名はスティーブ・バノン。極右ニュースサイトの運営者で、トランプ陣営の選挙対策本部長になる人物だ。

 連中は有権者の特性に合わせ、最も効果的と思われる広告をスマホやパソコンに送り付けた。「ストイック」に分類された者には愛国的なメッセージを、「世話好き」な者には家族や地域社会の絆を強調する、というように。

 また、対立候補であるヒラリー・クリントンの「あいまいな支持者」層に分類したグループを標的に、投票抑制作戦を展開した。たとえば、彼女の発言から一部分を切り取って作成した広告を「人種的憎悪を煽っている」証拠として、黒人層のフェイスブックに流したのである。

 ちなみに、フェイスブックはデータを盗まれた被害者ではなく、悪事に加担した加害者である。元CA社員のブリタニー・カイザーによれば、同社やグーグル、ツイッターなどの巨大IT企業は、トランプの選対本部に社員を派遣し、特別のサービスを提供していたという((3))。

「自由意志」の喪失

 CA社が駆使したネット世論操作は、企業が行っているターゲティング広告の応用である。スマホやパソコンの画面に勝手に表示されるあれだ。閲覧・検索などの履歴からターゲットである利用者の興味・関心を特定し、「お勧め」情報を送り付ける仕掛けである。

 大変便利で結構に思えるが、これは誘導である。同じ傾向の広告ばかり表示されるのは選択の自由を狭めることでもある。企業にとって都合のよい利益の出る方向へと消費者の行動を誘導する――監視資本主義とはこういうことなのだ。

 企業や国家は私たちをデジタル監視網に絡めとり、カネ儲けや支配のために操ることを目標にしている。デジタル監視社会にはプライバシーはおろか、究極的には「自由意思」さえ存在しない。民主主義の土台が崩れてしまうのだ。

 「われわれは身の回りにある情報に基づいて意思決定している。第三者がコントロールする情報にしかアクセスできないとなると、最後には洗脳されてまともに意思決定できなくなる。…無自覚のまま偏見にとらわれてしまうものだ」

 CA事件のもう一人の内部告発者であるクリストファー・ワイリーはこう述べている。たしかに、フェイクニュースばかり見ていると、それが真実だと思い込まされる。まさにマインド・ハッキングだ((4))。

 ネット世論操作は日本でも始まっている。自民党総裁選挙の期間中、高市早苗のバナー広告をやたらと目にした人は多いだろう。ユーチューブで動画を見ていても、高市の広告が勝手に再生され閉口した。

 高市の場合は稚拙なものだったが、一見して広告とは気づかれないような、洗練されたネット世論操作が本格化するのは時間の問題だ。自民党には電通というお抱えの宣伝部隊がいる。資金も豊富にある。やらないわけがないのだ。

 衆院選が目前に迫ってきた…。      (M)

取り上げた本

(1)監視資本主義〜人類の未来を賭けた闘い〜
 ショシャナ・ズボフ著 野中香方子訳 東洋経済新報社 本体5600円(税込6160円)

(2)レッドネック
 相場英雄著 角川春樹事務所 本体1700円(税込1870円)

(3)告発〜フェイスブックを揺るがした巨大スキャンダル〜
 ブリタニー・カイザー著 染田屋茂他訳 ハーパーコリンズ・ジャパン 本体1800円(税込1980円)

(4)マインドハッキング〜あなたの感情を支配し行動を操るソーシャルメディア
 クリストファー・ワイリー著  牧野洋訳 新潮社 本体2100円(税込2310円)

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