2021年10月22日 1695号

【さかいみほのじゃらんじゃらんiNインドネシア ジャカルタ編(4)―華人系の人びとと9月30日】

 皆さまお元気でお過ごしでしょうか。ようやく朝夕が過ごしやすい気候になってきました。美味しいものがたくさん溢れる日本での食欲の秋を満喫しております。

 9月30日、筆者はこの日、様々な思いを巡らせます。ひとつは、2009年9月30日に発生した、西スマトラ州でのマグニチュード7・6の大地震について。州都パダンでは、立派な水牛の角を象(かたど)ったつくりの屋根の建物が、あちらこちらでぺしゃんこになって倒壊していたのが印象的で強く記憶に残っています。もうひとつは、1965年の9・30事件とその後の大粛清についてです。華人系とも深く関わる出来事ですので、今回は後者の大事件について少し触れたいと思います。

 ジャカルタに滞在して分かったのは、毎年9月に入ると、G30S―PKI(G30Sはインドネシア語で9・30事件、PKIはインドネシア共産党)、G30S、PKIなどとメディアやSNSのあちこちで言われるということです。

 アイディット書記長(のち議長)率いるインドネシア共産党は、初の総選挙(1955年)で国会第4党、当時、世界でもソビエト連邦、中国に次ぐ第3位の規模を誇る250万人の党員を抱える大政党でした。1965年9月30日、陸軍将校7人が誘拐・殺害される事件が発生しました。大統領親衛隊中佐を中心としたグループが、政権の転覆を図っていたと7人を殺害したが、のちの大統領となるスハルト率いる戦略作戦予備軍によってすぐに制圧されました。

 この事件は、「共産党の陰謀である」と当局から発表され、7人の傷だらけの遺体が古井戸に捨てられた、と共産党の残虐性≠ェ大々的に演出・報道されました。こののち共産党は非合法化され、党員やシンパ(支持者)は国軍などによって全国で徹底的に粛清されてしまうのです。(続く)

(筆者は2020年までインドネシア在住)


(事件で犠牲となった陸軍将校らの遺体が発見されたルバン・ブアヤを取り囲むように設立された)PKI裏切り博物館にて、軍事法廷調書や実行犯の証言をもとに“共産党員らによる暴行”を描いた宣伝ジオラマ
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