2021年11月05日 1697号

【東アジアの平和のためのZENKO参加団in広島 岩国・広島フィールドワーク 日米一体の大軍拡、侵略の歴史を実感】

 10月16〜17日、ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)広島は首都圏・関西の参加者とともに第3回「東アジアの平和のための参加団in広島」を開催した。企画したZENKO広島の日南田成志さんから報告が寄せられた。

 16日は山口県岩国基地を巡った。まず、住民に基地との「共存」を強要する象徴、愛宕山(あたごやま)地域に向かう。

住民取り込む愛宕山

 愛宕山神社前広場では地元の「愛宕山を守る会」が月3回「見守りの集い」を行っている。愛宕山開発の大規模さを実感できる場だ。1990年代に始まった宅地開発事業によって山の上部3分の1が切り崩されたが、宅地は売れず、開発された土地は防衛庁が国費で買い上げ、米軍住宅とスポーツ・レジャー施設へ転用された。開発で出た土砂が、岩国基地「沖合移設」という名の基地大拡張埋め立て工事に使われた。

 一行は絆スタジアムを見学した。60億円の血税で建設された野球場と2面のソフトボール場では、日米「国旗」の下でリトルリーグやスポーツ少年団が試合中。少年たちの歓声がこだまする。国内で唯一、市民が自由に出入りできる米軍敷地の愛宕山「スポーツコンプレックス」は、格安料金で市民に開放されている。参加者の一人は「幼い頃から米軍施設が楽しい思い出として記憶されていく。この懐柔政策で、基地反対の声はますます上げにくくなる」と述べた。

 頂上付近から岩国基地の全景を望む。ハワイから2日ほど前に到着した「遠征洋上基地」と称される米海軍大型艦船ミゲルキースが、巨大な艦体を滑走路南端のバースに横づけしていた。岩国市のごく自然な一部であるかのように広大な米軍基地が横たわり、子どもの歓声が響くこの光景こそ、日米軍事一体化の深化を物語っている。

 夜は広島市内で、広島の強制連行を調査する会・正木峯夫さんによる「ヒロシマと朝鮮人強制連行」の講演を聴く。三菱重工元徴用工の遺骨問題の経緯を詳細に伺うことができた。

軍都広島の強制連行

 戦前、広島の三菱重工では3千人弱の朝鮮人が働かされていた。1945年8月30日に「徴用解除」となり、朝鮮半島中西部・京畿道(キョンギド)出身の246人は9月15日、広島駅を出発。山口県仙崎港から9月17日朝、釜山(プサン)へ向け出港したが、誰一人として故郷の地を踏む者はいなかった。

 おそらく、その日玄界灘を直撃した枕崎台風で船は沈没し、多くの遺体が壱岐・対馬の砂浜に流れついた。「おそらく」と言うのは、公式な調査がなされていないからだ。正木さんたちが現地で発掘した遺骨と、後に政府への働きかけで実現した厚生省(当時)の発掘作業で見つかったものを合わせて計131体の遺骨は、紆余曲折を経て今も壱岐の天徳寺にある。

 強制連行・強制労働の末に亡くなり、まともな埋葬も、その経緯の調査も遺族への連絡もされず、まして日本政府や企業による正式な謝罪もないまま、異国の地で眠っている朝鮮人の遺骨が全国各地にある。正木さんは「日本が朝鮮を植民地化し、そこには厳然と『支配と差別』の構造が存在していた。どんな言葉でごまかそうと『支配と差別』の下に徴用も労働も貫徹されていた。それは強制であり、単に遺骨を掘り当てたから送還しますでは済まない」と戦後補償の根本問題を提起している。

 オンラインの参加者から「沖縄戦の遺骨収集をしている具志堅さんのこの間の取り組みに何かメッセージはありますか」と質問が寄せられた。正木さんは「人道上許されない遺骨土砂問題を発信するためハンガーストライキに決起された具志堅さんに敬意を表したい。自分もできることをして連帯したい」と応じた。

 *   *   *

 翌17日は、軍服などを製造・供給した旧陸軍広島被服支廠(ししょう)で、軍都廣島がいかに侵略戦争遂行のための拠点機能を果たしたかを学習。

 政府が戦後補償に背を向けて侵略戦争の責任をとろうとせず、その歴史を書き換えながら日米一体の大軍拡に進んでいる今、侵略と加害の歴史認識をアジアの人びとと共有し、東アジアの平和を切り開きたい。



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