2021年12月24日 1704号

【時代は今社会主義 第12回 新自由主義のイデオロギー(1)――民営化がもたらす弱肉強食の社会――】

 この連載の第9回で、新自由主義の社会経済政策が1970年代末に台頭し、しだいに支配的になったこと、そして、それは国営・公営企業の「民営化」や資本の活動への「規制の緩和・撤廃」を政策の主要な柱としていたことを説明しました。今回は、この「民営化」や「規制緩和」政策がどのような思想に基づいているのか、そのような政策の推進は社会に何をもたらしてきたのかを解説します。

 当時、世界中で強力に推進された「民営化」と「規制緩和」路線は、ある思想に基づいていました。それは、人間の社会や経済活動には人為的な手を加えてはならず、「野放し」にして自然のままに任せるのがベストだという思想です。こうした考え方は、フリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンといった経済学者によって提唱され、広められました。彼らは、自然の生態系に人為的な手を加えるべきではないように、社会、経済についても手を加えず「野放し」にするべきだと主張します。彼らによれば、経済活動での資本への規制は「不当な」人為的操作であり、国営・公営企業は「作為的」制度だということになります。つまり、彼らにとって、どんな経済的「規制」も人為的「計画」も不自然な「悪」であり、野生のままの市場原理こそが「善」なのです。だから、彼らは社会福祉や社会保障の縮小を言い立て、累進課税制度に反対します。これらもみな「反自然的な」人為的制度だからです。それゆえ「新自由主義者」は例外なく「小さな政府」を主張するのです。よく語られる「民間活力」の導入による社会・経済の活性化という考えもこうした考えと一体のものなのです。

 では、人間の社会と経済を「野生状態」にすればどうなるでしょうか。それは一目瞭然(りょうぜん)です。強いものはますます強くなり、弱いものはますます弱くなる。弱肉強食の世界の出現です。そして、そのことによる極端な格差社会の到来です。さすがに、伝統的な資本主義はそのような弊害をある程度予防するために、不十分ながら一定の「規制」をかけてきたのです。しかし、新自由主義はそのような既存の「規制」をもすべて撤廃することを要求します。新自由主義の際立った反動性はここにあるのです。

 新自由主義思想にまったく欠落しており、彼らが否定しようとしているもの、それは人間の社会生活には「公共的」側面が不可欠なのだという考えです。医療や交通手段や(基礎)教育など、人間の社会生活の共通の基礎的インフラ(支える基盤)とも言うべきこれらの領域には、富める者も貧しい者も区別なくアクセス(参加・利用)できなければなりません。公営病院や公共交通、公立学校が存在しているのは、その平等なアクセスを保証するためです。これらの領域は、資本の金儲けの場として提供されてはならず、「公共性」が担保されねばなりません。社会のあらゆる分野に際限なく「民営化」を要求する新自由主義者の頭には、「官」と「民」しか存在せず、「公共性」の領域がまったく存在しないのです。それゆえ彼らは、人間の社会生活全般を資本の利益にゆだね、社会生活の「公共性」の領域、「公的」部門を解体しようとしているのです。      《続く》
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