2021年12月31日・2022年1月7日 1705号

【土木屋奥間の正義の闘い3/ありえないフラットな海底地形/地震で護岸崩壊は明らか】

 私が辺野古埋め立て工事の設計がおかしいと指摘したのはもう6年近く前になる。2016年3月に元自治体土木職員の北上田毅さんから提供を受けた沖縄防衛局が作成したケーソン護岸の図面から構造的欠陥を見つけたことからだった。

虚構の基礎地盤

 普通、設計図があれば工事はできると思われるだろうが、実際は違う。工事を受注した施工業者が最初に行う作業は、設計図面と現場が合っているかを確かめること。設計図を鵜呑みにはできないからだ。

 私の経験した古宇利(こうり)大橋の現場で頭を悩ませたのが複雑な海底地形だった。その経験から防衛局の図面は現状を反映していないと見抜くことができた。防衛局の図面では海底がフラット。その上に基礎となる石を積み上げてケーソン護岸を設置することになっていた。ありえないことだ。

 海図から実際の地形図を作ってみると沖に向かって傾斜していることがわかる。傾斜した地盤に護岸を造れば、基礎石はただ投げ入れただけなので地震で崩れることが容易に想定される。






 地盤の強さはどうか。防衛局の資料では4箇所でボーリング調査を行っていた。滑走路の先端部付近、水深の深いところのデータを見ると、地盤の硬さを示す「N値」から軟弱であることがわかった。通常、大きな構造物を築造する場合の目安はN値50が望ましいのだが、B−1ポイントでは水深15bあたりでN値2〜3しかなかった。地盤は傾斜し、さらに軟弱。その上に巨大なケーソン護岸(幅20b、高さ20b、長さ50bのコンクリート製ブロック)を設置すれば、確実に崩れると予測できた。

 私はケーソン護岸の構造上の問題点をまとめ、17年に千葉の知人を通して新潟大学名誉教授立石雅昭先生に提供した。私の資料に興味を持った立石先生とつながることになった。

 立石先生が18年4月に結成した沖縄辺野古調査団は19年3月から活断層調査を開始したが、軟弱地盤問題に本格的に取り組んだのが19年の末ごろからだ。

 調査団が指摘した問題に護岸の安定性に関するものがある。沖縄防衛局の技術検討会は地盤改良により施工時、完成時とも護岸の安定性は問題ないとしているが、調査団が同じ条件で解析したところ震度1〜3程度の地震で護岸はすべて崩壊することが判明した。

 北上田さんが情報公開によって暴いた軟弱地盤問題に、調査団が徹底して取り組んだことが、玉城デニー知事の設計変更不承認につながった。不承認理由には「B27地点の力学的試験の必要性」や「地盤の安定性」に問題があると記述されているのだ。

地震推定のごまかし

 特に立石先生が主張しているのが耐震設計の基準。そもそも辺野古新基地建設は「普天間飛行場代替施設建設事業」である。飛行場の代替施設であるなら「空港基準」の「地震動レベル2」を用いるべきである。にもかかわらず、基準の甘い「港湾基準」の「地震動レベル1」に基づいて設計していることを指摘した。

 「レベル1」とは、その構造物の耐用年数中に1度以上発生する可能性が高い地震動をさす。比較的頻繁に起きている地震といえる。「レベル2」は、過去及び将来に渡って想定しうる最大規模の地震を指す。たとえば阪神淡路大震災がそれにあたる。

 私が講演のために全国を回っていた最中の11月26日、ZENKOの防衛省交渉に参加した。そのとき質問したのがこの空港基準と港湾基準のことだ。この質問には防衛省の誰も答えることができなかった。

 ところが沖縄防衛局が行ったレベル1の地震動推定方法すら問題だった。港湾基準では少なくとも3つの地震を用いて解析することが求められているにもかかわらず、2つの地震の解析で済ませていた。しかも沖縄近海で頻繁に発生する太平洋側での地震を無視して、沖縄島北西側で発生した小規模地震のみを対象としていた。10年2月に沖縄島南東沖で発生したM7・2の地震動を無視して設計していたのだ。

 調査団は沖縄県に対してこの点についても沖縄防衛局に質問するよう求めていたが、県は質問をしなかった。設計変更不承認の理由に盛り込むべきだったのだが、それが採用されていないことに疑問を感じる。裁判闘争となれば確実に政府が反論できないこの耐震設計の問題を突きつけるべきだ。

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