2022年07月15日 1731号

【未来への責任(352)具志堅隆松さん福島へ(下)】

 映画『生きる』の会場は200人を超える人で満席、報道関係者もたくさん来ていた。

 映画では遺族が「なぜこの裏山(学校敷地のすぐそば)に逃げなかったのか」と、教育委員会や学校に疑問をぶつけるシーンが。子どもたちは地震後50分も校庭に待機させられた。待機した児童78名中74名、教師11名中10名が亡くなった。

 「どんな状況で子どもが亡くなったのか」とご遺族は真実を明らかにするために裁判に訴えた。1審は先生の対応に過失があったとし、2審では市教委まで含めた組織的過失を認定した。防災マニュアルや防災訓練を事前にしっかり準備していれば、みんなが助かる方法は確実にあった。「生き残った先生は精神的に参って説明会に来ない」など、地元で大川小の話はタブー視され、皆が発言しにくかったそうだ。映画での裁判官の「学校が子どもたちの最後の場所になってはならない」という言葉はどんな立場の人も納得できる。

 大川小での語り部の会では、震災遺構として補強工事が必要だと遺族の訴えを聞いた。「生き残った子どもたちの会ができて子どもたちから提案されるのではと期待している」と吉岡和弘弁護士は言う。希望のある話だ。
 5月4日、映画を監督した寺田和弘さんとともに大熊町に戻った。寺田さんから具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さんに試写会で集められた木村汐凪(ゆうな)ちゃん捜索支援カンパが渡された。この日も大勢が捜索に当たった。

 父、木村紀夫さんは、汐凪ちゃんの熊町小学校に案内してくれた。地震で逃げたままの状態になっている。1年生のクラスの教科書やノートが開いた状態で机の上に置いてあるのが窓から見える。クラス活動の張り紙も残ったまま。汐凪ちゃんが学習班で、宿題を配る、勉強を教える係だったこともわかる。木村さんはこの学校をこのまま保存してほしいと訴えている。

 すぐそばの学童館に行く。おじいちゃんが、姉妹の妹だけを連れ帰る途中で犠牲となった。おじいちゃんと奥さまは2か月ほどしてご遺体が見つかったそうだ。やはり原発事故の影響で救出作業ができず発見が遅れたのだ。具志堅さんは「原発事故の影響で遺体が見つけられないならそれは国の責任だ」と言う。

 津波で破壊された木村さんの家は中間貯蔵施設地域にある。汚染土は2045年に大熊町から最終処分場に運ぶそうだが、何も決まっていない。

 今回の捜索はいったん終了した。具志堅さんは「残念だが、こんなにたくさんの人が汐凪ちゃんに近づこうとしたことが大事。これが供養になる」と語られた。

 翌朝地元の新聞2紙に具志堅さんの問題提起が大きく報道された。「復興などにより犠牲者がまだいるかもしれない地域でかさ上げや防波堤造りを進めていいのか」と。

(戦没者遺骨を家族のもとへ連絡会 上田慶司)

 
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