2022年07月29日 1733号

【さかいみほのじゃらんじゃらんinインドネシア/ジャカルタ編その9ーインドネシアの祝祭日をみてみよう】

 皆さまお元気でお過ごしでしょうか。日本の夏は40度を超えるところがあると話すと、赤道直下のインドネシアよりも暑い! と大変驚かれます。

 今回からは、インドネシアの祝祭日(Hari Libur Nasional)を見ていきましょう。

 まず、元旦(1月1日)、メーデー(5月1日)、パンチャシラの日(6月1日)、独立記念日(8月17日)、クリスマス(12月25日)は、毎年日付が変わりません。

 パンチャシラ(Pancasila、panca:5、sila:徳)というのは、インドネシア共和国憲法前文で述べられている国是である建国五原則((1)唯一神への信仰(2)公正で文化的な人道主義(3)インドネシアの統一(4)合議制と代議制において英知に導かれる民主主義(5)インドネシア全人民に対する社会正義)のことです。

 1945年6月1日、日本軍政下での独立準備調査会で、後に初代大統領となるスカルノが、演説で国家原則としてパンチャシラを提議したことに由来し、6月1日はパンチャシラの日として2016年に祝日と制定されました。この演説が行われた建物はGedung Pancasila(パンチャシラ・ビル)と呼ばれています。

 スハルト政権下、メーデーは共産主義であるとされ、労働者はデモ、スト、集会などはできませんでした。労使紛争の処理には軍が駆り出されました。以前触れた9・30事件後の大粛清を経て、残った労組をかき集めた連合(全インドネシア労働組合)は政府のコントロール下でした。

 スハルト退陣後、ILO第87号(結社の自由と団結権の保護)の批准を皮切りに、2000年代になると労働、労働組合、労使紛争、社会保障などの民主的な法整備が進みます。社会の民主化の中で様々な労働者の集まりが組織化され、様々な団体が街頭にくり出しました。2013年、メーデーは国民の祝日として制定されました。 (続)

(筆者は2020年までインドネシア在住)

 Gedung Pancasila(インドネシア外務省内にあり、会談、会食、記者会見などでいまだに使用されています)内の廊下には独立前後の貴重なシーンを写真に収めたレプリカが展示されています。わかり辛いですが、スカルノが独立準備調査委員会内で演説をしている際の写真。説明は、Dokuritsu Zyunbi Tyosakaiと日本語(ローマ字)で書かれています。日本軍政下ならではです。
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