2022年08月05日 1734号

【安倍「国葬」こそ民主主義への挑戦/弔意の強制で批判を封殺/税金使って改憲キャンペーン】

 「こんな人たち」の反対意見など無視する、ということか―。政府は安倍晋三元首相の「国葬」を9月27日に行うと決定した。法的根拠のない国葬を、国会で議論することもなく閣議のみで決めたのだ。「民主主義への挑戦」とはこのことを言う。弔意の強要を通じた安倍政治の正当化を許してはならない。

ろくでもない「功績」

 政府が決定した安倍元首相の国葬は、名称を「故安倍晋三国葬儀」とし、岸田文雄首相が葬儀委員長を務める。費用は全額国費を充てるという。

 戦前の国葬の法的根拠だった「国葬令」は1947年に失効しており、国の宗教的活動は日本国憲法第20条で禁じられている。よって政府は、内閣府設置法にもとづく「国の儀式」として、無宗教形式で執り行うとしている。

 松野博一官房長官は「国民一人一人に政治的評価や喪に服することを求めるものではない」と説明するが、これは詭弁にすぎない。異例の国葬を行うこと自体が、安倍元首相の「功績」を国をあげて評価することになるからだ。

 実際、岸田首相は国葬を行う理由として、安倍元首相の「素晴らしいご功績」を強調している。具体的には▽東日本大震災からの復興▽日本経済の再生▽日米関係を基軸とした外交の展開―の3点だ。

 何ひとつ納得できない。「震災からの復興」だなんてよく言うよ。福島第一原発の事故は未だ収束しておらず、原子力緊急事態宣言が継続中である。日本経済がいつ再生したのか。日本だけが低賃金を抜け出せない現実を見ても、安倍政権の経済政策=アベノミクスの失敗は明らかではないか。安倍が進めた「日米同盟の強化」なるものは戦争国家づくりの推進だ。

 そもそも、安倍ほど民主主義をないがしろにしてきた総理大臣はいない。沖縄の民意を踏みにじる辺野古新基地建設強行など例をあげればきりがないが、ここでは国会で虚偽答弁を連発したことを強調したい。衆院調査局が認定した安倍の虚偽答弁は「桜を見る会」前夜祭の問題だけで118回に及ぶ。

 国会を愚弄し、市民を欺いてきた人物を国葬にして美化することが、どうして「民主主義を断固として守り抜く決意を示す」ことになるのか。そんなブラックジョークは要らない。税金の無駄である。

狙いは「遺志を継げ」

 国葬という制度の意味を歴史的にみていこう。『国葬の成立 明治国家と「功臣」の死』(勉誠出版)の著者である宮間純一・中央大教授によると、国葬の始まりは1878年に行われた大久保利通の国葬に準ずる葬儀だという。

 時の明治政府は、政府の最高実力者であった大久保が不平士族によって暗殺されたことで反政府運動が活発化することを恐れた。そこで大久保の「功績」を天皇の「特旨」(特別なおぼしめし)をもって行われる国家儀礼によって揺るぎないものにしようとした。つまり政権強化のために葬儀を政治利用したのである。

 1926年には天皇の勅令で「国葬令」が制定された。その論理は「天皇や国家に尽くした人を国を挙げて悼む」というものだ。その典型が1943年に戦死した山本五十六(連合艦隊司令長官)の国葬である。「軍神」山本の遺志を継ぎ「米英撃滅」に邁進せよ、と喧伝された。

 このように、国葬という国家儀式は「国民」をひとつの方向にまとようとして行われるものである。安倍元首相の国葬も本質は変わらない。国内外の人びとが彼の「業績」を讃えているという既成事実を作り出すことで、批判意見を抑圧しようとしている。

 その目的が改憲・軍事大国路線の推進や、新自由主義政策の継続にあることは言うまでもない。まさに、自民党の自民党による自民党政治延命のための政治的ショー(安倍神格化劇場)というべきだろう。

日本国憲法に反する

 「岸田首相は党内最大勢力である安倍一派の機嫌を取りたいだけ」という見方もある。しかし国葬が実施されるとなれば、マスメディアが安倍を讃える追悼記事や番組で占拠されることは目に見えている。これが改憲推進の大キャンペーンでなくて何であろう。

 前述の宮間教授は、国葬は民主主義の精神と相反する制度だと指摘する。「国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見を抑圧しうる制度など、民主主義のもとで成立しようはずがない」(7/19プレジデントオンライン配信記事)

 たしかに、「内心の自由」を侵害する国家儀礼を強引に行うなんて、日本国憲法を冒とくする暴挙である。「だから行うべし」と、安倍は草葉の陰で思っているかもしれないが、国葬には絶対反対だ。  (M)

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