2022年09月09日 1738号

【久米島の戦争〜なぜ住民は殺されたのか〜/ETV特集 制作・著作 NHK沖縄/住民虐殺が示す軍隊の本質】

 アジア・太平洋戦争末期の1945年6月から9月にかけて、沖縄県久米島の住民20人が日本軍によって虐殺される事件が発生した。なぜ乳児を含む人びとが「友軍」に殺されたのか。8月20日放送のNHK「ETV特集」は、住民の証言や新資料をもとに、事件の真相に迫ったドキュメンタリーである。

スパイ視して殺害

 沖縄県が「慰霊の日」と定める6月23日は、日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日である。だが、多くの人びとにとって戦争はまだ続いていた。

 沖縄島の西およそ100キロに位置する久米島。この小さな島にも日本軍は駐留していた。鹿山正兵曹長が率いる海軍の通信隊である。鹿山隊は食糧の調達や部隊を維持する労働力を島の人びとに依存していた。住民にとっては過酷な負担だが、それでも軍の存在が安心感につながっていた。内間好子さん(92)は当時の思いをこう語る。「久米島の民衆を守ってくれるという気持ちがあった。安心して暮らしていました」

 しかし米軍が久米島に上陸すると、鹿山隊は米軍と通じているとみなした住民を次々と殺害していった。米軍の降伏勧告状を部隊が立てこもる陣地に届けにいった郵便局員をその場で射殺。米軍に一時捕らわれていた区長らをスパイとみなし、家族もろとも9人を殺し家ごとを焼いた。

 戦後、鹿山は週刊誌の取材に対しこう答えている。「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければ、米軍にやられるより先に、島民にやられてしまうということだったんだ。島民が向こうがわに行ってしまっては、ひとたまりもない」

 鹿山の「沖縄人は忠誠心が薄い」という偏見は彼特有のものではない。日本軍司令部じたいが「沖縄人スパイ説」に立ち、防諜対策の徹底を指示していた。差別意識が住民虐殺につながったのだ。

密告される恐怖

 8月15日が過ぎても虐殺は続いた。久米島出身の海軍兵・仲村渠(なかんだかり)明勇さん一家の殺害がそうだ。米軍の捕虜となっていた明勇さんは、故郷を救いたい一心で人びとに投降を呼び掛けていた。彼の説得で「集団自決」を思いとどまった人もいる。

 そんな「島の恩人」が妻子ともども殺された。隠れ場所を鹿山隊に密告する者がいたという。谷川昇さん一家7人の殺害も「密告」が発端と見られている。昇さんは朝鮮人で、朝鮮人を嫌う者が「スパイ」という作り話を広げたと、当時を知る人は証言する。

 「誰が(鹿山隊に)言うか分からない。誰を信用していいのか、分からなくなります」。鹿山隊は住民のスパイリストを作成しており、そこに載ることは死を意味する。島の人びとは疑心暗鬼を募らせ、互いに監視し密告するようになっていった。住民が軍隊の論理に絡めとられる軍民一体の戦闘の恐ろしさだ。

沖縄戦の教訓を今こそ

 今回のETV特集は、新たな証言や新発見の資料をもとに久米島事件の全体像を描こうとした力作だ。ただし、現在の日本政府批判につながる表現は避けるというNHKならではの制約もみてとれる。そこで今日の問題として考えるための補足を述べておこう。

 その1。沖縄の離島には日本軍の残置工作員がいた。米軍が上陸した際には現地住民を組織してゲリラ戦を指揮するために配属された陸軍中野学校出身の工作員のことである。久米島には学校の教員になりすました残置工作員が2人いて、平時から住民の動向を監視していた。住民虐殺への関与も疑われている。

 その2。鹿山隊の通信施設や兵舎があった場所には、現在、航空自衛隊の通信基地が置かれている。番組で何度も映し出された山の上のレーダーサイトがそれだ。このショットから、対中国を掲げての自衛隊の沖縄配備強化=琉球弧の軍事要塞化を想起したい。

 近年開設された宮古島市や与那国町の陸上自衛隊基地には、情報保全隊が配置されている。イラク戦争に反対する集会やデモに参加した人びとの情報を細かく収集するなど、一般市民を監視対象にしていることが発覚した防衛相直轄の情報部隊である。

 過去に明らかになった保全隊の内部資料によれば、自衛隊反対の運動をする人だけでなく、騒音に抗議しただけの人まで個人情報を調べ上げていた。まさに現代のスパイ(予備軍)リストではないか。米軍や自衛隊の基地周辺などに暮らす住民への監視を強める内容の重要土地利用規正法も昨年成立した。

 軍隊は住民を守らないどころではない。作戦遂行の邪魔とみなせば住民を殺したり、死に追い込む―。そうした沖縄戦の教訓を、久米島の住民虐殺は軍拡が進む現在に生きる私たちに示している。    (M)

 
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