2022年10月07日 1742号

【山上ツイートから見えてくるもの/絶望のはての安倍元首相銃撃/言葉が届かない社会への憤り】

 内閣支持率の急落が物語るように、岸田政権にとって安倍晋三元首相の「国葬」は大失敗であった。最大の誤算は、殺された安倍元首相よりも銃撃犯のほうに世間の同情や共感が集まったことにある。そのような現象がなぜ起きたのか。あらためて考えてみたい。

 安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者(殺人容疑で送検、鑑定留置中)に対し、手記の執筆を求める声が上がっている。「手記書いてほしいし、ぜひ読みたい」「様々な事実や想いを闇に葬ることなく語ってほしい」「令和の永山則夫になれる」(ヤフーニュースのコメント欄より)等々。

 永山則夫とは、19歳で4件の射殺事件を起こした元死刑囚のこと。獄中で綴った手記『無知の涙』がベストセラーとなり、その後は小説家として1997年の死刑執行まで執筆活動を続けた。永山の手記は「貧困が生み出した悲劇」として読まれた。山上容疑者の場合はどうなのか。

 山上容疑者に共感を寄せる人びとは、彼が残したツイッターへの投稿を読んでいる。これを分析すれば共感を覚える内容、すなわち同時代を生きる者が抱える普遍的な悩みや苦しみ、怒りが見えてくるはずだ。

無視される苛立ち

 まずは、全山上ツイートを分析し、政治的傾向を探った伊藤昌亮・成蹊大教授の論考を紹介したい(現代ビジネス8/12配信記事)。山上容疑者はどのような立場から何を見、何に憤り、自分が生きる世界をどう捉えていたのだろうか。

 第一に、統一教会に家族を破壊され人生を狂わされたという経緯から、教団発祥の地である韓国に対し強い憎悪を抱いていた。「慰安婦」「徴用工」問題などで韓国が日本に謝罪を求めることに反発。「韓国人を許すことはないし、それに味方する日本人を許すこともない」と、謝罪は当然とする「リベラル派」にも怒りを向けていた。

 次に目立つのは、ジェンダー問題への言及である。「オレは物言う女が気に食わないのではない。『女に対する侵害だから他の事は捨象する』みたいな風潮が著しくアンフェアだから言ってる」。“弱い立場の男性もいるのに、なぜ男性というだけで加害者扱いされなければならないのか”と言いたいのだろう。

 つまり山上容疑者は、統一教会の被害者である自分を見向きもしない社会に苛立っていた。特に、弱者の救済を唱える「左翼・リベラル派」を欺瞞的と嫌っていたと、伊藤教授は指摘する。“統一教会を憎んで嫌韓になった者は差別者なのか。救済の対象にならないのか”というわけだ。

 印象的なツイートがある。「この国の政府が人民の幸福の為に存在した事は有史以来一度もない」「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」。この悲痛な訴えを「自分のことだ」と感じた人は多いのではないか。

新自由主義の呪縛

 山上容疑者は新自由主義政策のせいで苦しんできたロスジェネ世代である。実際、非正規職を転々としてきた。それなのに「新自由主義的な風潮を批判するどころか、むしろ強く内面化し、自らの生き方そのものにしてしまっている」と伊藤教授は分析する。

 「すべてを自分一人で引き受け、自己責任で処理していくことが唯一の規範だと考え、それを自らに課している。そうした価値観のゆえに、彼は自らの状況を誰かと共有することもなく、あらゆる連帯を拒みながら、自分一人ですべてを引き受けてさまよい続けるなかで、ますます孤立を深めていったのではないだろうか」(伊藤教授)

 「弱い」と認めたら負け。苦しくても助けを求めることができない―。まさに新自由主義の呪縛だ。「だから言っただろう、最後はいつも一人だと。頼りになるのは自分しかいないと」。この山上ツイートは今の日本人に埋め込まれた共通マインドと言える。

放置され続け暴発

 作家の吉村萬壱は「今回の事件は旧統一教会に関係して安倍元首相が銃撃された形だけど、もっと深いところに、政治に対しての届かなさ、『言葉が聞いてもらえない』ということが分かってしまった結果がある気がしてしょうがない」と指摘する(9/19共同通信)。

 安倍政権は「無力感を醸成してきた政権」だと彼は言う。「言葉が実態のないものにされていく過程を見せられ、われわれ国民の中で『自分たちの訴えは絶対に政府の中枢には届かない』という諦めのようなものが積み重なってきた」

 それでも虐げられた者の情念が消えることはない。いずれどこかで爆発する。「(事件は)日本社会が彼らを放置し、追い詰め、政治も手を差し伸べなかったことへの暴発のような形」であり、「鬱積が爆発する素地は準備されていた」というわけだ。

動けば変わる実績を

 一方、安倍応援団たちは「山上容疑者の思惑どおりになってはいけない」と主張する(社会学者の古市憲寿、お笑い芸人の太田光など)。テロ行為で社会が動く(統一教会批判の高まりのこと)ことになってしまったら、模倣犯が出てくると言うのである。

 では、何もするなと言うのか。政府・自民党に都合のいい詭弁というほかない。そもそも、政治や司法制度による救済が機能しない国、よほどの事件がなければ変化の兆しも見えない絶望社会を作ってきたのは誰なのか。歴代の自民党政権ではないか。とりわけ、民主主義を空洞化させた安倍政権の罪は重い。

 「第二の山上事件」は防がねばならないが、それは治安体制の強化では成しえない。主権者である市民の行動が政治を動かし、社会を変える実例を積み上げていくことが必要だ。「安倍国葬」反対運動をその第一歩としたい。   (M)



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