2022年10月14日 1743号

【時代はいま社会主義へ 第22回 民主主義的社会主義へ(1) 社会主義ソ連はなぜ崩壊したか】

 最後のソ連(ソビエト社会主義連邦共和国)共産党書記長でありソ連大統領であったミハイル・ゴルバチョフが8月30日亡くなった。彼は、「ペレストロイカ」(ロシア語で「立て直し」の意)を掲げソ連社会主義の根本的改革を進めたが、達成できず、ソ連は崩壊した。我々MDS はソ連崩壊の総括から出発した。ゴルバチョフのペレストロイカの意義、敗北の意味を明らかにすることで我々のめざす民主主義的社会主義の展望を明確化することができる。

 ロシアでは1917年10月革命後、生産手段は、国有化を中心とした社会的所有と変わった。後進国ロシアが経済発展を遂げ、医療、教育費無償化、男女平等を実現した。1957年、世界初の人工衛星を実現し、高い科学技術水準を実現した。

 しかし、1970年代からソ連経済の停滞が顕在化した。米国との軍拡競争の下、ソ連は崩壊した。なぜか。

 崩壊の基本的原因は、非民主主義的政治制度と行政的指令的経済管理制度であった。

1.行政的指令的経済管理制度の過ち

 ソ連の経済システムは以下のとおりである。

 まず国民経済計画が国家計画委員会で作成され、党と政府の承認を受ける。次に省などの中間機関を経て各企業に対し生産量が指示される。生産に必要な資金を中央が供給する。そして各企業の生産物は中央が決定した価格で中央が全量買い取り、各企業に分配される。各企業は生産額を超過した場合、報奨金が与えられる。逆に与えられた指示生産額に達しない場合、企業は収入が激減する。

 製品価格が中央で決定され、製品は全量中央が買い取り、必要な資金も中央から供給される。このシステムの欠陥は、各企業が生産量を上げることだけに集中し、コスト削減に無関心であり、省力化のための科学技術利用が進まず、不必要な在庫を膨大に抱え、製品の質を軽視することである。

 ソ連経済のおかしさの実例を挙げる。

 ボルガ鋼管工場では、他の工場製品に比して強度が同じで重量が半分という薄い圧延管を製造した。この鋼管に転換すればソ連全体で年間鋼数万トンが節約できた。しかし重量が少ないため総生産高が減り企業収入が減った。どの企業も薄い鋼管を使うと生産量が減るので使いたがらなかった。資源節約企業が不利な立場となる。

 また、食料品価格が低く設定され、農民がパンを飼料として使う事例が発生した。

 あるいは筆者がモスクワの国営商店に入った時、店員が7−8人で客はゼロであった。ダウンジャケットが100着ほどかかっていたがすべて白色の同じデザインのものであった。生活水準が向上したソ連ではだれもがこの製品を欲しなかった。その店から出ると露店で米国リーバイス製のジーンズが高い値段で売られていて人があふれていた。需要にこたえる生産体制ではなくなっていたのである。

 このような体制は、帝国主義の包囲下で社会主義建設を進めるという課題にこたえるために、さらにナチスファシズムと闘うために作り出された。戦争が終わりファシズムに勝利した段階で経済管理制度を変えねばならなかったが、それができなかったのである。

 どのような質の製品を作ろうと、また生産性を上げようと努力しても、労働者の賃金に関係しないシステムの下で、労働者は創造的に働く意欲を失ってしまったのである。 《続く》
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