2022年10月14日 1743号

【アベ政治礼賛と継承の儀式/やはり酷かった「安倍国葬」/岸田自民による国家私物化】

 9月27日に強行された安倍晋三元首相の「国葬」は、自民党及び官邸官僚による安倍政権顕彰イベントであった。アベ政治を正当化し、その路線継承を「国全体として」確認する儀式が巨額の税金を使って行われたのである。まさに究極の国家私物化というほかない。

 「国葬というのはどこまで行っても『時の政権の思惑で人間の死を政治的に利用するもの』でしかありません。近親者での葬儀は弔いの場ですが、国が個人を弔い、褒め称える国葬という国家儀式は、政治的意図を伴って行われます」。歴史学者の宮間純一・中央大教授はこう指摘する。

 典型例は戦死した山本五十六(連合艦隊司令長官)のケースである(1943年6月)。戦局の悪化が隠せなくなる中、時の東條(英機)政権は「軍神・山本元帥の遺志を継げ」と鼓吹し、人びとにさらなる戦争協力を促した。

 「安倍国葬」も本質的には同じことだ。岸田政権は安倍元首相を国家的英雄に祭り上げることで、その政治路線(改憲・軍事大国化と新自由主義)の継続を人びとに受け入れさせようとしたのである。その手口を具体的にみてみよう。

偽りの足跡映像

 まず、黙祷の後に上映された「安倍元首相の足跡をたたえる」映像である。安倍元首相が東日本大震災の「復興支援ソング」をピアノ演奏する場面から始まり、「美しい国・日本」「アベノミクス」「一億総活躍社会」「地球儀を俯瞰する外交」といった政権のキャッチコピーを散りばめながら、故人の「功績」を約8分間にわたって紹介した。

 製作を手がけたのは、第二次安倍政権を支えた官邸官僚の一人である佐伯(さいき)耕三元首相秘書官だ。安倍元首相のスピーチライターを務めた人物であり、「アベノマスク」配布を進言したことでも知られる。

 ただし、この愚策はビデオには出てこない。また、「外交の安倍」をやたらと強調しているが、通算27回も首脳会談を重ねたロシアのプーチン大統領の姿は映像から排除されている。実質賃金が下がり続けるなど、アベノミクスのせいで貧困化が進んだことはもちろん無視している。

 とりわけ、東日本大震災など「相次ぐ災害の危機管理」に尽力したとのくだりは犯罪的な嘘である。津波による原発事故の危険性を国会質問で指摘されても、「日本の原発でそういう事態は考えられない」として、一切の対策を拒否したのは誰か。第一次政権時代の安倍首相ではないか。

強権政治を正当化

 岸田文雄首相は「追悼の辞」で、安倍元首相を「一途な誠の人」と呼び、讃えた。「桜を見る会前夜祭」の問題だけで118回もの虚偽答弁をした人物がどうして「誠の人」なのか。認知の歪みというほかない。

 注目すべきは、不評ゆえに封印された第一次安倍政権時代のスローガン「戦後レジームからの脱却」を再評価したことである。すなわち、平和主義を理念とする日本国憲法を「敗戦国のわび証文」と呼んで忌み嫌い、破壊を終生くわだててきた安倍元首相の政治姿勢を、自分が受け継ぐと誓ってみせたのだ。

 友人代表として弔辞を読んだ菅義偉元首相は「安倍総理、あなたは我が国日本とっての、真のリーダーでした」と持ち上げた。安保法制、秘密保護法、共謀罪の導入など「難しかった法案」をすべて成立させたと讃え、「あなたの判断はいつも正しかった」と言い切った。いずれも「数の力」によって強行採決した話であり、強権政治の自己賛美だ。「いつも正しかった」に至っては「神格化」の域に達している。

 ちなみに、ビデオや2人の弔辞は沖縄の基地問題に一切触れなかった。無理に賞賛すれば批判されることは必至なので、しれっとスルーしたのだろう。

感情操作の危うさ

 このように「安倍国葬」は安倍政権を支えた面々による自画自賛イベントであった。一般的に葬儀・告別式では故人を悪く言わないものだが、これは国の行事である。巨額の税金を投じる身内ぼめ大会を行うなんて、国家私物化の極みだ。

 気をつけなければならないのは、死を悲しむ感情には伝染性があり、理性的な思考を一時停止させる効果があるということだ。嘘くさい美辞麗句を吐いても葬儀の場では許容されてしまう。今回の例で言えば、菅元首相の弔辞に対する「泣けた」「感動した」といった反応があてはまる。

 支配層は今回、「国葬」の利用価値を再認識したことであろう。事実、自民の一部や維新から法制化を求める声が出ている。冗談ではない。「国葬」は「法の下の平等」や「思想・良心の自由」を保障した日本国憲法に反している。「大日本帝国の遺物」を復活させてはならない。  (M)

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