2022年10月28日 1745号

【ひろゆきの辺野古ツイート/基地反対運動をあざ笑う/論点ずらしで日本政府を免罪】

 「論破王」と呼ばれ人気を博している実業家の西村博之(通称ひろゆき)による、沖縄辺野古の基地反対運動を揶揄した発言が波紋を広げている。一連の言動は反対運動を上から目線で嘲笑し、「無意味なことをしている」という印象を与えるものだ。基地問題の本質を覆い隠す、悪質な世論誘導である。

不毛な議論で挑発

 インターネット番組の取材で沖縄入りしていたひろゆきが、米軍キャンプ・シュワブゲート前(名護市辺野古)を訪れたのは10月3日のこと。「新基地断念まで座り込み抗議 不屈3011日」と書かれた掲示板の横に笑顔で立った写真を添えて、こうツイートした。「座り込み抗議が誰も居なかったので、0日にした方がよくない?」。“看板に偽り有り。座り込みなんかしていないじゃないか”と、抗議運動をからかってみせたわけである。

 ちなみに、基地建設工事に対する座り込み抗議は2014年7月から行われている。当初は24時間体制だったが、最近は資材搬入の時間帯に合わせて実施するようになった(1日3回)。ひろゆきが現地を訪れたのは夕方で、その日の行動は終わっていた。

 ひろゆきは翌4日もゲート前にやってきた。番組クルーも一緒だ。今度は現場リーダーの山城博治・沖縄平和運動センター顧問らに、「座り込み」の定義について言葉の遊戯のような議論を吹っ掛け、挑発した。

 一連のやりとりを報じたネット番組(10/7アベマプライム)で、ひろゆきはこう言っている。「なぜ僕が基地反対派の行動をここまで揶揄するか。それは、反対派の人たち自身が、反対派を減らしていると思うからだ」「座り込みをしている人たちの年齢は50代以上なのでは。若者たちが共感していないのではないか」「嘘をつく人たちや『中国のためにやってるんじゃないの?』と思われるような人たちは、ちゃんと排除した方が、長期的には沖縄の待遇や環境は良くなる」

要は自己責任論

 このように、ひろゆきの狙いは反対運動のイメージダウンにある。“独りよがりで威圧的な反日老人ばかり”といったレッテルを貼り、沖縄の基地問題が解決しない原因は「反対派の人たち」にあると断じる。要は、自己責任論なのだ。

 座り込みの定義うんぬんは揚げ足取りにすぎない。辺野古新基地建設をめぐる様々な問題(沖縄の軍事要塞化、自然破壊、工事困難な軟弱地盤の存在、何よりも沖縄の民意の無視)を、ひろゆきは無視している。不勉強だからではない。意図的なものだ。

 ひろゆきはインターネット掲示板「2ちゃんねる」の創設者で、最近はユーチューバーやコメンテーターとしても人気を集めている。ツイッターのフォロワー数は190万人。問題の辺野古ツイートには28万を超す「いいね」がついた。

 彼は自分を支持するネット民や若者が沖縄の基地問題に疎いことを熟知しており、ツイートで示された断片のみを捉えて「反対派」に嫌悪感を抱くと計算している。で、得をするのは誰か。沖縄への基地押しつけを免罪される日本政府であることは言うまでもない。

「本土の無関心」が盾

 「誰かが書いた汚い文字」。ひろゆきがそう評した抗議日数を示す掲示板は、辺野古在住の金城武政さん(65)が製作したものだ。彼の母・富子さんは米軍キャンプ・シュワブ所属の米兵に殺された。1974年10月のことだった。

 辺野古でバーを経営していた富子さんは、強盗に入った米兵にブロック片で頭を殴られ、頭蓋骨骨折による脳内出血で亡くなった。補償金は支払われたが、米軍や日本政府から謝罪の言葉や詳細の説明はなく、当時高校生の金城さんは悔しい思いをしたという。

 ひろゆきの発言については「どんな思いで基地に反対し、座り込みをしているのか分からないのだろう」と語る。実際、沖縄が背負わされてきた歴史を踏まえれば、基地に反対する人びとを小バカにすることなど、普通の感覚の持ち主ならできるわけがないのだ。

 しかし、自分が不利な土俵にひろゆきが上がることはない。常に高みから人を見下すような態度で細かな矛盾点をあげつらい、相手が閉口して黙り込めば勝ち誇り、怒りを買えば「感情的なやつだ」と半笑いしてみせるだろう(逆に言うと、それしかできない)。

 こうしたひろゆき流「論破」術を、知的でクール=かっこいいともてはやす風潮が今の日本社会には存在する。だから、ひろゆきは安心して、冷笑とデマの拡散という暴力を沖縄に向けることができるのだ。

 沖縄に対する「本土の無関心」という盾にひろゆきは守られている。それを突き崩す責任は「本土」の私たちにある。   (M)
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