2022年12月23日 1753号

【時代はいま社会主義へ 第25回 民主主義的社会主義へ(4) 社会主義ソ連はなぜ崩壊したか】

4.ペレストロイカはなぜ敗北したか

 しかし、1991年末、ソ連邦は解体し、ペレストロイカは実行途上で終了した。ゴルバチョフはなぜ敗北したのか。

 「ペレストロイカを担う主体を最後まで強力に獲得することができず、上からの改革にとどまったからである」「ペレストロイカが官僚的・非民主主義的社会主義に対する闘いである以上、労働者・大衆を下から組織していくことがぜひとも必要であった。それがなされていないにもかかわらず、ゴルバチョフがペレストロイカを特権的階層である官僚に対する改革へと進めようとしたとき、ペレストロイカを担う主体の弱さが致命的なものとなった。旧来の官僚主義的社会主義を維持しようとした勢力が資本主義復活勢力へと合流してエリツィン政権が登場した」(竹内弘幸「ソ連邦解体とアメリカ帝国主義」『統一の理論』27号、1992年、23ページ)。

 これによりソ連は解体したのである。

 しかし、解体したことをもって社会主義の成果を否定することはできない。

 ソ連社会主義の獲得したものは、ソ連人民の大幅な生活向上、社会保障、医療、教育の充実、男女平等の実現であった。ソ連における社会保障の充実は帝国主義国に大きな影響を与え、帝国主義国における労働者、市民の生活向上の大きなてことなった。

 また、全世界の反帝民族解放運動、労働運動、民主主義運動の発展に貢献した。ベトナム戦争や南アフリカの反アパルトヘイト闘争の勝利はその実例である。ベトナム戦争は、ベトナム人民の強い闘い、世界の反戦運動、社会主義国からの援助のどれが欠けてもアメリカ帝国主義に勝利することはできなかった。

 南ア共産党書記長クリス・ハニは「ソ連における社会主義の勝利は、植民地人民の闘争にとって新しい時代を切り開くものであった。ソ連社会主義の勝利は、たしかに第3世界全体の民族解放運動の勝利を促進した」(同上、24ページ)と述べている。

 ソ連解体は民主主義が徹底されなかったことによりもたらされた。民主主義の徹底こそ社会主義の根幹であり、社会主義をめざす組織においても民主主義の徹底が必要である。筆者が1991年チェコの共産主義者に会った時に、彼は「旧ソ連の共産主義者たちは労働者大衆を本当に組織しうる条件を得たことになる」とソ連崩壊について語った。ドイツのPDS (民主主義的社会主義党、現在の左翼党)の活動家は「私の曽祖父は1848年2月革命でエンゲルスとともにバリケードを築いて闘った。今の逆流は一時的なことだ」と言った。

 まさに現在はグローバル資本主義のでたらめさに対して民主主義的社会主義の必要性、必然性が明確になっている時代である。MDS(民主主義的社会主義運動)はソ連解体の総括から民主主義的社会主義の展望を打ち出し、結成された。    《この項終わり》
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