2023年11月03日 1795号

【未来への責任(385) 推進協と共に22年 私たちが歴史だ】



 10月12日、ソウル龍山(ヨンサン)区の植民地歴史博物館で「太平洋戦争被害者補償推進協議会」(以下、推進協)の創立22周年集会が開催された。「推進協と共に22年 私たちが歴史だ」とのタイトルのこの集いに私も出席した。

 推進協が正式結成されたのは2001年2月23日。結成集会には私も参加した。この時、推進協は鍾路(チョンノ)区楽園洞(アグチム)の「鍾路オフィステル505号室」に事務所を構えていた。小さな事務所を借り、そこから運動を始めたのだ。

 それから22年、私(たち)も推進協と共に運動してきた。幾つもの裁判を共に闘ってきた。「併合」100年、日韓条約50年に一緒にキャンペーンを展開した。ヤスクニキャンドル行動も06年以来継続している。

 これらの運動の中で、18年10月30日、日本の最高裁にあたる大法院判決をかちとった。この判決の意義は改めて確認するまでもない。

 今回の推進協22周年の集いで私が改めて確認したことがある。それは推進協が強制動員真相糾明法制定を推進した事実である。推進協共同代表の李熙子(イヒジャ)さんは22周年の「感謝の辞」でこう述べている。「強制動員被害者が望んでいるのは補償以前に、日本の植民地支配によって苦しみを受けたという事実を公式的に認められ、家族の生死だけでも確認することでした。これは被害者にとって最低限の権利でした。ですから、真相究明は強制動員被害者問題の解決の第一の要件であらざるを得ません」

 そのためには法律が必要。そこで張完翼(チャンワニク)弁護士に特別法草案作成を依頼し、民族問題研究所・歴史問題研究所・挺身隊問題対策協議会と共に「日帝強占期強制動員真相糾明連帯」を結成した。01年4月、特別法草案の公聴会を開催、同年10月に、金元雄(キムウォヌン)議員ら69人の議員が特別法を発議。2年余の国会審議を経て04年「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法」が成立したのだ。

 この真相糾明法は、金大中(キムデジュン)―盧武鉉(ノムヒョン)政権時に進められた一連の過去事清算の運動の中で実現したものではある。しかし、そこには李熙子さんが述べたような強制動員被害者、遺族の痛切な思いが込められていた。

 今回、私はこのことを改めて胸に刻んだ。

 日本政府は、植民地支配によって韓国民に多大な損害と苦痛を与えたと言い、それを謝罪してきた。しかし、日本軍「慰安婦」を除けば、その「損害」事実について自ら調査したことはない。被害者に聴き取りをしたこともない。それなのに「強制連行はなかった」と言い、教科書も書き直させた。こんな歴史修正、否定を通してはならない。

 植民地主義清算に向けて闘いは続く。私は引き続き推進協と運動を共にする決意を新たにした。

(強制連行・企業責任追及裁判全国ネットワーク 矢野秀喜)
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