2024年01月26日 1806号

【能登半島地震 またも関連死招く/絵に描いただけの国際基準/“人道支援”は政府の義務だ】

 1月1日に起きた能登半島地震による犠牲者は関連死を含め220人を超えた(14日現在)。避難所では感染症が広がり、必要な医療ケアがうけられない状況が続いた。災害のたびに指摘される避難所の劣悪な環境は一向によくならない。最も欠けているのは、どんな状況であっても「人間として尊厳ある生活を営む権利」を保障する政府の基本姿勢なのだ。

一番困っていること

 被災者が一番困っていることは何か。「トイレの臭いが嫌で飲まず食わずの被災者が現れる」―毎日放送がそう報道した(1/12)。特異な事例を拾い上げたものではない。食事とともにトイレ問題は生命の維持、健康の基本として真っ先に対応しなければならない問題だ。避難所の調査に入った大阪赤十字病院の医療チームは「下水処理ができず、トイレが非常に汚い状況」のために感染リスクがあることを指摘している(1/8毎日放送)。他にも、「避難所へ行ったが満杯で車中泊」など避難所が質、量ともに不足している実態が報道されている。

 大震災だけでなく、暴風雨災害などにより開設される避難所。その劣悪な住環境がたびたび問題になっていた。行政はどんな法律や基準に基づいて、被災住民の救助などにあたっているのか。

 政府や自治体などの責任を定めているのが「災害対策基本法」。災害から住民を守る防災の段階、災害が発生し応急救助の段階、その後の復旧・復興の段階と3つの段階に応じた役割分担などを定めている。避難所の指定は防災段階で市町村が行い、応急救助の段階でも開設・運営の主体は市町村とされている。

 災害が起こり被災者や倒壊家屋が多い場合は「災害救助法」が適用され、救助の主体は市町村から都道府県に移る。市町村は都道府県の補助の立場となる。能登半島地震被害も石川県だけでなく近隣県も含む4県47市町村が災害救助法の適用を受けている。

「一人1日340円以内」

 問題はここからだ。政府は、災害救助にかかる費用の5割から9割しか出さないのだが、経費に制限をかけている。「災害救助法による救助の程度、方法及び期間並びに実費弁償の基準」とする内閣告示(2023年6月改定)。タイトルが示すように、支出額の基準を定めたものだ。

 避難所は「原則として、学校、公民館等既存の建物を利用すること」。それが困難な場合は、「野外に仮小屋を設置し、天幕を設営し、…」と続く。その避難所設置に支出できる額は、「一人1日当たり340円以内とすること」。避難所の維持管理のための人件費、建物・器物の借上費・使用謝金の他、光熱水費や仮設便所等の設置費用をまとめて、この額以内にせよという(これを超える場合は内閣府と協議が必要)。

 では問題のトイレだ。政府は「避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン」(2016年内閣府)をだしている。 ガイドラインが示すトイレを整備するにはどれぐらいの費用が必要になるのか。

 たとえば仮設トイレ。レンタル料は業者によって異なるが1台月3万円程度。無臭対策をしたバイオ型なら倍の価格。避難者20人に1台、男女別、女子用は男子用の2倍(理想は3倍:後述するスフィア基準)の数が望ましいとするガイドラインに従えば、男女50人づつの避難所を想定すると、男性用2〜3台、女性用4〜9台。10台前後が必要となる。一人1日100〜200円に相当する。仮設トイレの設置費用が避難所の設置費用の3分の1から3分の2を占めてしまう。

 食費は「一人1日当たり1230円以内とすること」。一食当たり410円。「炊き出しその他による食品の給与」としているように、温かい食事が望ましいにもかかわらず、基準とする費用では全く不十分だ。

スフィア基準実現の道

 政府の作るガイドラインは、後手後手ではあるが改善されてきた。「避難所運営ガイドライン」(2016年内閣府)には「避難所の質の向上を目指す」必要性が冒頭に書かれている。その中で、「スフィア・プロジェクト」を紹介し、「参考にすべき国際基準」だとしている。

 スフィア基準とは、正式名称を「人道憲章と人道支援における最低基準」という。94年のアフリカ・ルワンダで起きた大虐殺の際、多くの難民が赤痢やコレラなど感染症でなくなった反省からうまれた支援活動の国際基準だ。

 だが日本政府はスフィア基準を紹介するだけで、その最も核心的なところを学んでいない。それは人道的支援をする義務があるのは国家であるということだ。

 被災者には尊厳ある生活を営む権利があり、支援を受ける権利がある。被災者の苦痛を軽減するために、実行可能なあらゆる手段が尽くされなくてはならない。これを実現する第一義的責任は国家にある―これが人道憲章の内容だ。

 災害救助法は、法定受託事務として救助業務を都道府県に押し付けた。政府は法を超える措置には協議を求める立場に安住した(避難所の設置期間は7日以内、延長には内閣総理大臣協議が必要など)。避難所の質は「ガイドラインで」と言うだけで、その財政的裏付けさえ100%の責任を負わない。

 本来、人権の保障は国が責任を持たなければならない。避難所の現場で、ガイドライン通りの質や量が確保できない現状を直接確認すればわかる。地方財政を縮小させるために行なってきた自治体の人員削減。市町村合併もそうだ。避難所設置に職員を割ける余裕はほとんどない。

 被災者は我慢する必要はない。国には「尊厳ある生活」を保障するためにあらゆる手段を講じる義務がある。災害救助は国直轄事業として組み立てなおすべきだ。そこで初めて、国際基準に基づく避難所の設置、運営が現実味を持ってくる。



   *  *  *

 国が直接行うとしている業務の典型に、一連の軍事法によるものがある。自衛隊法や重要影響事態安全確保法などによる業務だ。

 「国土と国民を守る」ためと15万人近い職員(自衛隊員)を常用雇用し、日々訓練を行っている。装備も含め5年間で43兆円の支出さえ予定している。

 この人員と予算を災害防止と災害救助及び復旧・復興に回せば、いかに「国土の安全と国民の安心」は高まることだろう。戦車・ミサイルなど不要だ。救助活動を軍事演習の一環に位置付ける自衛隊ではなく、レスキュー隊の拡充こそ求められている。人材と税をどう使うのか。これはまさに、政治の責任である。



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