2024年02月16日 1809号

【シネマ観客席/映画 〇月〇日、区長になる女。/監督 ペヤンヌマキ 2024年 日本 110分/民主主義の実践で得た勝利】

 地縁、血縁、政治経験なし。市民団体の要請を受けての立候補。そんな女性候補者が3期12年続いた保守系現職に勝利した―。公開中の『映画 〇月〇日、区長になる女。』は、東京・杉並区長選挙における民主主義の実践を描いたドキュメンタリーである。

 2022年6月に行われた杉並区長選挙。無所属新人の岸本聡子さん(当時47)がわずか187票差で現職区長を破り、当選した。杉並区として初の女性区長の誕生である。

 岸本さんはオランダに拠点がある国際政策シンクタンクの研究員として活動してきた。水道など公共インフラの再公営化に関する事例を調査して報告書にまとめるなど、世界各地のミュニシパリズム(地域主権主義)運動をつないできた。住民無視の巨大開発や新自由主義路線をひた走る杉並区政を変革するには、理想的な候補者と言えた。

 とはいえ、彼女は欧州から帰国したばかりで、杉並区に地縁・血縁はない。大政党の丸抱え候補でもない。何より擁立決定から投票日までの期間が2か月弱と短すぎる。選挙の常識からすれば、固い組織票に支えられ4選を目指す現職に勝てるはずがなかった。

 だが、常識は覆された。勝利の原動力は「政党の数合わせ」ではない。政治を自分たちの手に取り戻すために奮闘した一人ひとりの取り組みが岸本さんを勝たせたのだ。それはまさに民主主義の実践だった。

杉並区長選の記録

 ペヤンヌマキ監督の本業は劇作家・演出家。杉並に住んで20年になる。ある日、かかりつけの診療所に行くと「道路拡張計画により当診療所が存続できなくなります」との張り紙が。驚いて調べると、自分が住むアパートも立ち退きの対象になっていた。「何これ、聞いていない」

 区議会を傍聴すると、現職区長は問題の道路計画の質問中に居眠りをする始末。「こうなったら区長を変えるしかない」と感じた監督は、市民団体「住民思いの杉並区長をつくる会」に参加。生まれて初めて選挙運動に関わることになった。

 杉並区長選の投票率は低く、前回は32%。誰も注目していない現状を変えようと、マキ監督は岸本さんの主張や選挙運動の様子を撮影し、動画投稿サイトにアップし続けた。それが本作のもとになっている。

葛藤や対立も映す

 選挙運動に密着した映像は、候補者や支援者の葛藤を生々しく映し出す。チラシの言葉ひとつをめぐって会議は白熱。皆それぞれに訴えたい要求や理想があって簡単にはまとまらない。「みんなちょっとは、聡子がやりやすいように連帯してほしいな」と岸本さんが愚痴をこぼす場面も。

 欧州の市民運動に携わってきた岸本さんには、日本の旧来型の選挙スタイルへの疑問がある。「政策論争がしたいんだよね」「選挙のやり方そのものが完全に壊れている」。一方、岸本さんの訴えは、市民運動のベテランの目には「わかりにくい」と映る。

 杉並の市民運動を長年支えてきた女性と岸本さんが、深夜の路上で言い争う場面が印象的だ。こんなに激しく意見をぶつけあうと、選挙運動が空中分解してしまうのではと不安になる。だが、それがなければ本当の信頼関係を築けないこともまた事実なのだ。

社会は変革可能だ

 市民が中心となる選挙運動の中で、様々な独創的な取り組みが生まれた。支援者が1人で区内の駅前に立ち、岸本さんの主張を伝える「サポメンひとり街宣」はその一つ。主に女性たちが自発的で自然体な選挙運動を支えた。

 岸本さんは街頭演説の際に聴衆にマイクを渡し、自分は地べたに座って各自の訴えを聴いた。「対話型の街宣」だ。全国の選挙取材を続けるフリーライターの畠山理仁さんは「そんな光景は見たことがない」と驚嘆する。住民が主役の選挙を象徴する場面だった。

 当選が決まった後、岸本さんの発案で支援者たちは「選挙は続くよ、どこまでも」とコールした。新区長を支えるには議会を変える必要がある。区長選を支えた女性たちの多くが翌年4月の杉並区議選に立候補。岸本区長が支援した候補者は新人7人を含む16人が当選を果たした。

 これがなければ、岸本区長の公約である「学校給食の無償化」は実現しなかった(2023年9月の区議会本会議で補正予算案が賛成多数で可決。財政委員会では1票差の可決だった)。

 「世の中には、やっても無駄という空気があるが、一人一人のアクションはつながっていて無駄にはならない。そのことを映画で伝えたかった。政治を考えるきっかけになれば」とマキ監督。市民の力で社会を変えたいと願う人びとにとって、本作は「希望の映画」といえよう。   (O)

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