2024年05月31日 1823号
【議会を変える/東京都足立区議 土屋のりこ/『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(石井光太 著、文藝春秋)】
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衝撃的な本だった。
子どもたちの国語力低下の例として児童文学『一つの花』の授業が紹介されていた。貧しい家の少女が出征する父に「ひとつだけ」と言っておにぎりをねだる。父はおにぎりを全部少女に食べさせるが、少女はまだおなかがすいていて「ひとつだけ」と汽車に乗り込む父にせがむ。不憫(ふびん)に思った父は、傍らに咲いていたコスモスの花を一輪、少女に手渡すのだった。戦争が終わり父は帰ってこなかったが、少女の家の周りにはコスモスが美しく咲き乱れていた―という戦争文学の名作から花を一輪渡した父の気持ちを想像する授業だが、生徒たちは「駅で騒いだ罰として(食べられない)花を少女にやった」「父がお金儲けのためにコスモスを盗んだ」と平然と答えたという。人物の気持ちを想像する力・背景を思い描く力=読解力が低下し、子どもの生きる力ともいうべき国語力が「殺されている」と訴える。
家庭環境の違いから親から子へと育まれる国語力の格差が増大し、教育を取り巻く政策の変遷、ネット依存の増大等で国語力格差の下層に取り残される子どもたちに国語力=生きる力をつけるために社会はどう責任を果たすのか、という問題提起だ。
総じて指摘されるのは、自分の感情や思いを言葉にして相手に伝える力が弱まっていること、相手の気持ちを想像し推し量る力の欠如ゆえに衝突したり、最悪のケースは殺人事件にまで至ってしまう。
「国語力」を育むための先進的な授業に取り組むある私立学校の生徒は「意見がぶつかれば『そうじゃない』『なんでだよ』と言い合っていたものが、『あなたはそう考えているんだ』と理解しそれはそれとして尊重するとなんとなく楽になった」。生きづらさは自己主張のぶつかり合いから引き起こされる。相手の話をじっくり聞き理解して尊重することで不要な衝突がなくなったという。
区の教育委員会にも話を聞いたが、互いへの無理解から始まるいじめは小中ともに山ほどあるとのことだ。
子どもたちが安心して学校生活を送り、社会に出て他者とともに働いたり暮らしていくには、国語力という「船」が必要になる。家庭格差の下層にいる子どもたちが国語力をつけられなかった事情を理解し、足りない力を育てられる環境を公的に保障するために、新たな政策提言をおこなっていこうと思っている。 |
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