2025年05月30日 1872号
【日本学術会議解体法案 参院で論戦/軍事研究に全科学者 動員狙う/「学問の自由」は戦争拒否の自由】
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日本学術会議を法人化する法案が衆議院を通過(5/13)し、参議院に送られた。現「日本学術会議法」を廃止し、日本学術会議をつくり変える新たな法案であり、「解体法案」と呼ぶのがふさわしい。狙いは日本学術会議を政府の戦争政策に協力する御用学者組織に変質させるところにある。特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認の閣議決定に始まる一連の戦争法制の一つなのである。
政府介入を制度化
内閣府の特別組織である日本学術会議を特殊法人へと造り変える新法の意図は何か。「法人化で独立性が強化される」との政府説明とは逆に、内閣総理大臣の介入を制度的に保障することにある。
焦点の一つ、会員選任方法。2020年に菅義偉(すがよしひで)首相(当時)が会員候補6人の任命を拒否し、「独立性」が問題となった。法案は、会員の任命は総会が決定するとし、「政治介入」の余地はなくなったかのように見せた。ところが、総会に出す候補者名簿は「会員候補者選定委員会」が「選定方針」に基づいて作成する。この「選定方針」を作成するのは会員以外から総会で選任される「選定助言委員会」だ。この候補者を誰が選ぶのか定めがないところがあやしい。
会員以外からメンバーを選ぶのは他にもある。総会議案などをつくる運営助言委員会(10〜15人/会長任命)と内閣総理大臣が任命する監事(2人)、日本学術会議評価委員(5〜7人)。監事は業務の監査とともに会員の「不正行為」を、評価委員会は日本学術会議の事業計画に対する自己点検評価書を審議し、会長や会議に対してだけでなく、内閣総理大臣に報告する義務を負う。選定助言委員候補も含め、外部(政府・資本)からの監視・支配を可能とする仕組みになっている。
政府は、2年前「第三者委員会」による会員選考に変える法改定をめざしたが、多くの学者、学会や市民団体の反対があり、「当事者の理解が得られないものは、混乱を招く」と提案を見送っている。だが、2年前の法案以上に政府の介入を強めている内容にもかかわらず、反対の声の広がりは限られている。
第2次安倍政権から始まる日本学術会議への介入の狙い・危険性をあらためて強調しなければならない。
戦争の反省≠消す
政府はなぜ、日本学術会議を解体したいのか。現行法(1948年制定)の前文に書かれた日本学術会議の設立目的「科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献」を消したいのだ。
現行法は、科学者が戦争に協力したことへの痛切な反省から「科学者の総意」でつくられ、「政府からの独立、軍事研究拒否」の姿勢を貫く法的根拠だ。実際、50年、67年、17年と3度にわたり、「軍事目的の科学研究は行わない」との声明を出してきた。
特に17年の声明は、防衛装備庁の「安全保障技術研究推進制度」(15年)による募集に、大学・研究機関が応募したことに警告を発したものだった。この声明で、防衛省からの研究費を返上する大学も出た。
野党で唯一法案に賛成する日本維新の会の三木圭恵(けえ)議員は「多くの大学が軍事的安全保障研究にしり込みするようになった」(5/9衆院内閣委員会)と17年声明を批判し、「今後は防衛技術の研究に貢献していただきたい」(5/13衆院本会議)と日本学術会議を脅してさえいる。
まさにそれが日本学術会議解体の理由だ。
カネでさらなる従属
日本学術会議への攻撃は維新のような正面からの批判≠ホかりではない。「国の予算を使うなら、介入は当然。いやなら法人化し自立を」。政府の説明「法人化による独立性強化」を言換えればこうなる。
国の予算は政府のカネではないし、カネが欲しけりゃ言うことを聞けなどと脅していいはずはない。裁判所や国会の経費は国の予算であるが、政府の言いなりであってはならないのは当然のことだ。政府機関でも会計検査院は独立して予算執行を監査する。日本学術会議も内閣府に属する機関ではあるが、「独立して業務を行なう」機関であり、政府の政策を批判することができなければならない。
「法人化で独立性強化」が幻想であるのは先に見た通りだが、実例として国立大学の独立法人化(04年)により何が起きたかを見ればよい。当初、法人化で文部科学省の統制を外れ、「自主・自立の大学運営が可能」と言われた。実際は国からの運営費交付金は毎年削減され、政府の意向により配分されるわずかな研究費を得るために、一層、政府の介入を許している。
文科省が大学・研究機関に配分する学術研究資金の一つ、科学研究費助成事業(科研費)は、防衛省所管の研究開発費に大きく差をつけられた。大学・研究機関は防衛省の誘惑にのらざるを得ない環境がつくられている。実際、防衛省への応募件数はここ数年増え続けている。日本学術会議の歯止めがなくなれば、一気に拡大することは間違いない。


戦争反対を拡げ廃案へ
2年前に比べ反対運動が拡がらないのは「学問の自由」の重要性が十分伝わっていないこともある。「市民とは無縁の学者の世界の話」ではない。
憲法には「思想・良心の自由」(第19条)「表現の自由」(第21条)に加え、あえて「学問の自由」(第23条)の規定が設けられた。学問への政治介入が戦争体制を推し進めてしまったことを教訓としたからだ。
「学問の自由」が危うい時は、政府批判ができなくなる時であり、教育の内容が統制され、市民活動に対する弾圧に行き着く時なのだ。「学問の自由」とは、政府批判の自由であり、戦争に反対する自由を意味している。
5年前の任命拒否問題は、まさに戦争法に反対する科学者を狙い撃ちにした政治介入であった。政府はその理由を一切明らかにしていない。この決定過程を記す公文書の公開をもとめる訴訟が起きている。立憲民主党小西洋之参院議員は首相が任命拒否できるとした法解釈変更にいたる文書開示を求め、東京地裁は不開示は違法と、全面開示を命じた(5/16)。任命拒否の当事者6人や学者らによる裁判も継続されている。
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「全科学者を戦闘配置 学術研究会議を強化」。1943年の新聞見出しだ。日本学術会議の前身、学術研究会議が全科学者を戦争動員する役割を担った。過去のことだと済ますわけにはいかない。坂井学内閣府特命担当大臣は「特定なイデオロギーや党派的な主張を繰り返す会員は今度の法案で解任できる」(5/9衆院内閣委)と発言した。戦争反対は特定のイデオロギーだというのだ。戦争反対を掲げ、日本学術会議解体法案を廃案に追い込もう。
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