2025年08月29日 1884号
【読書室/ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う/後藤遼太 大久保真紀著 朝日新書 950円(税込1045円)/戦争トラウマを生きる 語られなかった日本とアジアの戦争被害、傷ついたものがつくる平和/黒井秋夫 蟻塚亮二著 泉町書房 1800円(税込1980円)/戦争は人間を壊し、社会を蝕む】
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苛酷な戦争体験が兵士の心を蝕み深刻な後遺症を引き起こすことはベトナム戦争帰還兵などの事例で知られている。だが、戦後の日本社会はこの問題を隠蔽し、向き合おうとしなかった。時を超え、世代を超えて、戦争は家族や社会に何をもたらすのか。戦争トラウマをめぐる2冊の本から考えてみたい。
父は戦争で壊れた
『ルポ戦争トラウマ』は、元日本兵を父や祖父にもつ第2・第3世代が自らの体験を語った証言集である。沖縄戦体験者、被爆者、空襲被害者という一般市民の戦争トラウマ、そして日本の侵略がもたらしたアジアの戦争被害者のトラウマにも言及している。
大阪市在住の藤岡美千代さん(66)。9歳の冬に父が死んだ時、兄と2人で歓声を上げ何度もバンザイしたという。「やった! もうあの人がおらんから、ご飯食えるな。ゆっくり寝られるな」。自殺だと知ったのは何年も後の話だ。
シベリア抑留から復員した父・古本石松さんは、美千代さんが物心ついた頃から酒におぼれていた。やがて幻聴や幻覚がひどくなり、「兵隊の足音が聞こえる」「あいつらが殺しに来る」と怯えた。夜中に突然暴れだし、刃物を持って美千代さんたちを追いかけまわすこともあった。
父の死後、今度は母からの虐待を受けるようになった。「きたなぎもん(汚いやつ)」「畜生」と罵られ、殴られたりした。生前の父は美千代さんに性加害を繰り返しており、母はそれに気づいていたのだ。
高校卒業後、美千代さんは逃げるように家を出た。21歳で結婚、出産。しかし、いつしか自分も酒におぼれていた。ある日、虫の居所が悪かった美千代さんは、まとわりついてきた1歳半の娘を乱暴に払いのけた。頭が壁にぶつかる音で我に返った。「親と同じことをしている…」
その後も美千代さんは亡父の幻影に苦しみ続けた。2019年、戦争で心に傷を負った日本兵の家族が、それぞれの体験を共有して交流する活動をしていることを聞いた。「お父ちゃんみたいな人が、いっぱいおったんや。個人の問題やなくて、社会問題なんや」と気づいたという。
国が隠した実態
トラウマとは「心的外傷」のこと。心が耐えられないような衝撃的な体験をすると、その影響が後々まで続き、心身に様々な症状が現れることがある。抑うつ、パニック障害、幻覚や妄想、アルコールや薬物への依存、自傷や自殺意図などが挙げられる。
トラウマと戦争の関係が初めて社会の注目を集めたのは、第一次世界大戦だった。大量殺戮兵器が本格的に投入された戦場で「戦争神経症」というべき症状に陥る兵士が多発したのである。日本でも日中戦争や太平洋戦争の拡大にともない、精神を病み戦線から離脱する兵士が続出した。
だが、当時の日本軍は「そのような軟弱者は皇軍兵士にはいない」と言い切り、戦争神経症の存在を否定した。実際には多くの患者が千葉県の陸軍病院に収容されていたのだが、敗戦と同時に患者の治療記録や関係資料を焼却処分した。
そして戦後の日本社会でも戦争トラウマの問題は不可視化された。戦争トラウマを研究する中村江里・上智大学准教授(42)は「兵士本人が自分を『恥』と思い、家族にとっても恥ずべき存在になり、隠されてしまった」と指摘する。
戦争トラウマに苦しむ元兵士によって虐待された子どもは心に深いトラウマを残す。その子どもが成長して親になった時、今度は自分が子どもに対して虐待をする危険性がある。元帰還兵を祖父に持つ北村毅・大阪大学教授(52)は、親から虐待を受けてきた自身の経験から「家族関係に悩む原因の中には、思いもしない数世代前の戦争体験が潜んでいるということもあるのではないか」と語る。
「国家の力で徴兵されてやむを得ず巻き込まれる近代戦の大量殺戮を抜きには、日本のDV(ドメスティック・バイオレンス)の源泉は考えられないのではないか」と話す専門家もいる。戦争は人間を壊し、社会をも長期にわたって蝕み続けるということだ。
被害回復の鍵は謝罪
北村教授は「私たちは過去から解き放たれるために、過去を知らなければならない」と力説する。これを実践しているのが、東京都武蔵村山市在住の黒井秋夫さん(76)だ。『戦争トラウマを生きる』は黒井さんと、沖縄戦体験者の晩発性PTSD(心的外傷後ストレス症)を発見した精神科医・蟻塚亮二さん(78)の対談集である。
中国戦線からの復員兵だった黒井さんの父は無気力でいつも黙り込んでいた。定職には就けず、一家の生活は困窮した。そんな父を「ずっと軽蔑していました」と黒井さんは言う。
父の死から四半世紀後の2015年、黒井さんはベトナム帰還兵のドキュメンタリー番組を観て衝撃を受ける。「戦場は地獄だ」と語る元米兵のまなざしが父の暗い目と重なったのだ。その後、黒井さんは父の軍歴を調査し「親父は戦争で壊されてしまったんだ」と確信するに至った。
2018年、黒井さんは「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げた。昨年10月には「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」に枠組みを広げ、各地で講演会や証言集会を行いながら、国による実態調査を求めている。
「戦争のない社会を引き寄せるためには、同じ過ちを繰り返さないように戦争犯罪をきちんと謝罪しないといけない」。そう語る黒井さんは、日本の侵略や植民地支配がもたらしたトラウマの被害者とつながりをもとうとしている。「国家から被害を受けた民衆の連携を模索する」という視点は、再び「戦争で殺し殺される」ことを阻むためにきわめて重要だ。 (M)

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