2025年11月07日 1894号

【「殺さない権利」を求めて(14)――非暴力・無防備・非武装の平和学 前田 朗(朝鮮大学校講師)】

 殺さない権利(殺すことも殺されることもない権利)を人権論に位置づけるためには、第1に人権体系論を踏まえる必要があり、第2に日本国憲法に書かれていない権利も射程に入れる必要があります。この2つは切り離すことはできず、同時に遂行する必要があります。平和への権利(国連平和への権利宣言)や平和的生存権(日本国憲法前文)の具体的な理論展開として殺さない権利を把握するために、そもそも基本的人権とは何かを考える必要があります。

 というのも、日本では基本的人権とは何かがほとんど理解されていないからです。筆者は最近、次の2つの文章を書きました。

(1) 「基本的人権を基本から考える」前田朗編『憲法を取り戻す』(三一書房、2025年)

(2) 「日本が知らない基本的人権」『アジェンダ』89号(2025年)

 なるほど日本国憲法「第3章国民の権利及び義務」には、思想の自由、表現の自由、学問の自由はもとより、職業選択の自由、経済的自由、教育を受ける権利、生存権、社会保障権、人身の自由といった権利のカタログが列挙されています。近代国民国家の憲法としてよくできています。1946年当時の憲法としては人権規定が豊富だったと言えます。日本国憲法が保障する自由と権利の分類方法は多様ですが、憲法教科書では例えば次のようなまとめ方をします(君塚正臣『憲法』成文堂、2023年)。

(1)包括的基本権及び生命・身体的自由(幸福追求権、生命・身体的自由、刑事手続き上の自由、平等権、家族に関する権利)

(2)精神的自由(思想良心の自由、表現の自由、通信の秘密、集会結社の自由、信教の自由、学問の自由)

(3)経済的自由(居住移転の自由、国籍離脱の自由、職業選択の自由・財産権)

(4)社会権(生存権、教育を受ける権利、労働基本権・勤労権)

(5)国務請求権(裁判を受ける権利、国家賠償請求権、刑事補償請求権)

(6)参政権(選挙権・被選挙権、請願権)

 この教科書は以上の記述に280頁を費やして、非常に詳細に判例・学説を検討しています。その学問的水準は極めて高いものです。

 こうして見ると、基本的人権がきちんと理解されているように見えます。「基本的人権とは何かがほとんど理解されていない」と言ったのは間違いでしょうか。

 そうではありません。現代国際人権法の水準を意識すれば、1946年日本国憲法の限界も見えてきます。憲法教科書に書いてあることを見れば、非常に高レベルの理論展開がなされています。しかし、書いていないことがあると気づけば、不思議に思うはずです。前回指摘したように、憲法学では、日本国憲法に書かれていない人権の位置づけができません。しかも、日本国憲法に書いてある権利を書いてないことにしてしまうところがあります。この2つをきちんと踏まえないと人権体系論が欠落してしまいます。そうなると平和への権利や平和的生存権を位置づけることができません。まして殺さない権利の位置づけができません。「日本が知らない基本的人権」とは何か、それを順次見ていく必要があります。
MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS