2025年11月07日 1894号

【発言から読み解く高市早苗/歴史歪曲と弱者切り捨て/極右ポピュリストの日本版】

 「厚かましく、国粋主義的、分断的な高市氏は、世界的な政治のトレンドに合致している」。英誌エコノミストは高市早苗の首相就任をこのように評した。世界的な右派ポピュリズムのうねりを反映しているというのだ。高市の極右たるゆえんをみていこう。

戦争の反省はしない

 1995年3月、新進党所属の新人議員だった高市は、村山内閣が進めていた戦後50年の「不戦決議」に反対する立場からこう言った。「少なくとも私自身は、当事者と言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれはないと思っております」(衆院外務委員会での質問)

 この時は、答弁に立った河野洋平外相(当時)から「過去の戦争について全く反省もしない、謝罪をする意味がないという議員の御発言には私は見解を異にする」と反論されている。メディアにも「ついにここまできたか」的な暴言として大きく取り上げられた。

 たしかに戦後生まれの日本人にとって、アジア・太平洋戦争に関する直接の罪責はない。しかし、侵略や植民地支配を可能にした社会のあり方を根本から克服し、二度とくり返さないようにする責任が今を生きる私たちにはある。

 高市にそうした発想はみじんもない。かつての侵略戦争を「自存自衛の戦争」と正当化し、今また中国を仮想敵国とした戦争国家路線に拍車をかけようとしているのだから。

 ドイツ敗戦40年にあたる1985年5月、当時のワイツゼッカー大統領は連邦議会での演説でこう言った。「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。誰もが過去からの帰結に関わりあっており、過去に対する責任を負わされております」「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです」

 この格言を日本社会が血肉化していたなら、戦争責任を論じることを無意味という人物が首相になり戦争準備を進めるような事態は生じなかったであろう。

立憲主義を否定

 次に高市の憲法観をみていく。小林節・慶応義塾大学名誉教授(国会で「集団的自衛権の行使は違憲」と証言した憲法学者)が次のようなエピソードを語っている(『「憲法改正」の真実』集英社新書)

 2006年、小林教授が衆院憲法審査会に参考人として出席したときのことである。憲法と権力の関係について「権力というものは常に濫用されるし、実際に濫用されてきた歴史的な事実がある。だからこそ、憲法とは国家権力を制限して国民の人権を守るためのものでなければならない」という話をしたそうだ。

 すると高市が「私、その憲法観、とりません」と反論してきたという。憲法に「制限規範」的な側面がある以上、「汝ら国民に義務を課す、すなわち行動を制限する。そういうことがあったっていいじゃないですか」という趣旨の議論を議場で展開し始めたのだ。

 高市は「教育勅語大好き人間」を自称する国家主義者だ。「憲法は国民を縛り、権力に従わせるためのもの」という彼女の憲法観は、その後自民党の圧倒的多数派となり今日に至る。

 ちなみに、高市政権で財務相に起用された片山さつきは、自民党改憲草案(2012年版)の解説文で「国民が権利は天から賦与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権説をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です」と述べている。

 片山は生活保護バッシングを主導したことで有名だが、高市も「さもしい顔してもらえるものはもらおうとか弱者のフリして少しでも得をしよう、そんな国民ばかりになったら日本国は滅びてしまいます」と述べている。この2人がタッグを組む政権が人権を無視し、弱者切り捨てに走ることは目に見えている。

平気で嘘をつく才能

 第二次安倍政権で総務相を務めた高市は、放送法の「政治的公平性」に関する解釈を変更した。これは安倍政権に批判的な報道を封じ込めるための策動であり、当時の首相補佐官(磯崎陽輔)が官僚に対し執拗な圧力をかけていた。

 その経緯を記した総務省の行政文書を立憲民主党の小西洋之参院議員が入手し、国会で追及したところ、高市は「まったくの捏造文書だ」と言い張った(2023年3月)。その後、文書を作成した3人の官僚全員が「捏造はしていない」と国会で証言したが、高市は「捏造だ」と言い続けた。

 平然と嘘をつくことができる厚かましさは高市の才能である。民主主義国家のリーダーにあってはならないものではあるが。(M)

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