2025年11月28日 1897号
【パレスチナからアローシュさん来日/現地と連帯し虐殺加担止め 占領終わらせる】
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イスラエルの虐殺・占領に非暴力で闘うPWSU(パレスチナ労働者闘争ユニオン)の委員長であり、PPSF(パレスチナ人民闘争戦線)政治局員のモハマド・アローシュさんが、ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)の招請で来日。11月13日広島、15日神奈川、16日大阪で連帯を訴え、共感を広げた。
「何が起きてもあきらめない」/パレスチナの子どもとつながる/大阪
16日、大阪集会は会場300人以上、オンライン215人がパレスチナ現地からの思いに聴き入った。
冒頭、アローシュさんの息子、ヨルダン川西岸在住のゼインさん(13歳)とオンラインでつながり、スピーチが響いた。「今日はガザ(パレスチナ)の子どもの代表として話す。将来の夢を学校のノートに書くはずが現在は難民キャンプに。子どもは病院で死んでいるただの数字ではない。だが、何が起こっても、子どもたちは諦めない。明るい未来を望んでいる」
息子と同年代の14歳の時、インティファーダ(民衆蜂起)でイスラエルに逮捕されたアローシュさん。講演、質疑でも、涙を抑えきれず、「私たちの世代より苦しんでいる子どもたちが平和に生きる未来を何より大切にしたい。非暴力抵抗運動がもっともふさわしい」のメッセージに会場には共感の涙が広がった。
運動報告では、「微力だけど無力じゃない」の言葉を胸に一人でも街頭で自転車写真展を行い「今日から微力を始めましょう!」。イスラエル軍関係者の予約キャンセル依頼の解雇撤回裁判闘争を語ったジェロニモさんにアローシュさんは「労働者の闘いはとても重要」と固く連帯。『Free
Palestine」』の大合唱で参加者は一つになった。
ユース参加者交流会では、日本語学校の韓国人学生「日本でも韓国でも一緒に抵抗できたら」、京都の学生「スマホでは人が殺されていても感覚が麻痺してしまうが、アローシュさんに会え、家族が殺されているのを肌で感じた」など、次々と感想が寄せられた。

パレスチナの事実を知り伝えてほしい/神奈川
神奈川集会は15日、横浜市で行われ150人が参加した。
「横浜の港町を見て幼少期を思い出した。ガザは横浜に似ている。私たちは海の子だった」とアローシュさんは懐かしむ。故郷への思いや文学への熱いまなざしを織り交ぜながら、イスラエルの非道、ガザの惨状を語った。
質疑は37問あがった。その中で「日本の市民がパレスチナの平和ためにするべきことは」について、アローシュさんは「事実を知ってほしい」と応えた。「イスラエルは西洋の国際報道の力を握っている。父親に抱かれている子どもが『ここは銃撃しないで』とイスラエル兵にお願いしても銃撃された。パレスチナのジャーナリストは標的にされて殺された。それをイスラエルは『イスラエルの子ども』『イスラエル人記者』がパレスチナに殺されたと報道した」と示して、事実の拡散を訴えた。
また、イスラエル製品の不買運動の拡大を促した。
「現場の生の声を聞けてよかった」「人間としての尊厳を大切にしている人だ」などの感想があり、集会後は感想交流会も行われ、今後も連帯運動を続けていくことが確認された。
BDS運動、パレスチナ写真展などZENKOの活動報告や「月桃の花」歌舞団の連帯の歌をアローシュさんに贈った。
アローシュさんは「日本には味方がたくさんいることをパレスチナに帰って伝える」と述べた。

80年前の広島とガザを重ね/「子どもが大声で笑えるよう」と訴え 広島
パレスチナ現地からモハマド・アローシュさんの来日がついに実現し、「止めようガザ虐殺!ZENKOパレスチナ連帯ツアー」の幕が切って落とされた。
トップバッターとして11月13日に広島集会が開催され、会場に駆けつけた30人の市民がアローシュさんの熱い訴えに聞き入った。
冒頭、平和公園でのアローシュさんの言葉、「子どもたちを本当に腹の底から大声で笑わすことのできる人がいたら、その人に私の人生の半分を捧げてもいい」を紹介し、ガザの子どもたちも含めみんなが大声で笑える世界を作るために何ができるかを考えあう集会にしようと呼びかけた。
アローシュさんは、現在のガザを80年前の広島に重ねながら、「人道的悲劇の前で国際社会の良心が沈黙することは、その犯罪への間接的な加担だ」と強い言葉で訴えられた。
パレスチナで進行する不正義、それに加担し続ける日本。アンケートには自分に何ができるかを考えさせられたという多くの声が寄せられた。ある初参加者は「こんなことが起きていることに強い怒りを感じます。と同時に非暴力の市民レジスタンスの闘いを進めていることに敬意を表します」と記した。
ZENKO広島も、日本の加担を断ち切るため継続して行動を呼びかけていく決意を固めた。 (ZENKO広島・日南田成志)
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