2025年12月05日 1898号

【広島…火と人間の記憶/ムハマド・アローシュ】

 11月パレスチナ連帯集会に来日したPPSFのモハマド・アローシュさんは詩人・作家でもある。広島から横浜への車中で書いた詩(抜粋)を紹介する。

私の広島訪問は、単なる地理上の旅ではなかった/それは人類の記憶の深層への旅路だった/80年前に原子の火で焼かれたその場所は/傷はいまだ開いたままだが/それは平和のメッセージとなり、老いることのない人間的な呼びかけへと変わっていた

平和記念公園─痛みの灰の上に芽生えたあの緑の広場を私はゆっくりと歩いた/まるで、土の中で眠る魂たちを起こしてしまうのを恐れるかのように

原爆ドームに近づいた/人間の狂気の瞬間、日本人の「瓦礫を光る記憶へ、永遠の文明的メッセージへ」と変える独特の力を/ドームはずっと証言し続けている

名もなき犠牲者の慰霊碑の前では、私は長い時間立ち止まった/碑を残すことも、墓を持つこともできずに空へ昇っていった数万の魂/
彼らは統計が語る「数字」ではなかった/顔があり、夢があり、名前があった/いま静かに流れる太田川は/かつて火の川だった/無数の遺体や断片、秘密を運んだその川の前に立ち/私はきらめく水面を見つめた/まるでその水が、爆発の残響と人間の痛みの名残を/時を越えていまなお抱いているかのようだった

広島がその灰の中から立ち上がったこの街で/私はガザの今日の姿が頭から離れなかった/犯罪は同じで、人間も同じだからだ/博物館の展示パネルに映る爆発の瞬間には/ガザの子どもたちのような顔があり/破壊された家々はシジャーヤやラファ(〈注〉ともにガザ地区)の廃墟と重なり/そこに宿る悲しみの眼差しもまた同じだった/広島のあらゆる場面に、私はパレスチナの反響を見た/歴史が、新しい名前の、より近代化された殺戮の道具を使って/再び自らを繰り返しているように思えた

夕方ZENKOが私のために開いてくれた集会は/もう一つの記憶の場となった/多くの日本の市民がパレスチナへの連帯を示すために参加しており/私は彼らの感情の誠実さと深い人間的理解を感じ取った/広島は自らの灰から立ち上がった街として/今日ガザの炎へ手を差し伸べ/「私たちもこの道を通った/空の下で子どもが焼かれる意味を、私たちは痛いほど知っている」と語りかけているように感じた

集会後、私たちは共通の人間的闘い/戦争のない世界への夢/決して死なない記憶について語り合った

東京へ向かう途中/私は一つの確信に満たされていた/─どれほど戦争が激しくなっても、この世界は愛によって癒やされ/連帯によって立ち上がり/「戦争反対」をひとつの声で叫ぶ力を持っている

ガザから広島へ/結局、人間が本当に死ぬのは「忘れた時」だけなのだ/広島は忘れない…/そしてパレスチナも決して忘れない

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